2011年01月23日

現用セルビア軍① 

さて今回は現用のセルビア兵の画像を紹介してきたいと思います。

内戦を通し、ジェノサイドやらで諸外国から叩かれまくったセルビアですが、今やEU入りを目指し、
旧ユーゴ時代からの社会主義圏というイメージから完全に脱却しています。
コソボの独立マジギレなんせ自民族が土地を追われたり、亡くなったりしてますしね)気味になったりと
まだまだ火種を抱えてそうな国ではありますが、成長の一途を続けています。

それだけでなく、軍事面においてもEUや米国などと積極的に交流し、
欧米の火器や装備を導入しています。

そんな血気盛んで活きの良い国の軍隊をご紹介致します。


 

 

まず基本的なセルビア兵の格好(装備は皆無状態ですが)
はユーゴ時代より採用されているヅァスタバ社のM70アサルトライフルです。
基本構造はAK47/AKMと同じですが、補強の入ったプレスフレーム
特徴的なグリップ、3つ穴ハンドガード、そしてライフルグレネード用サイト、など
ユーゴスラビア独自の改良が施されています。

服は一見ウッドランドですが、比較的新しい時期に生産されたM93迷彩服でしょう。
ちなみにまんまウッドランドの迷彩服も別に採用されています

グレーのベレー帽兵用のベレー帽として一般的に多く支給されています。

そしてベルトとサスペンダーですが、往年の革ベルト、革サスに代わって
米軍のLC-1ベルトとLC-2型のサスペンダー酷似した装備を採用しています。
とはいえ細部をみると違うことが分かると思います。

恐らく90年代後半から装備転換が始まったのだと思われます。


 

一国の軍隊ですからフリッツタイプのヘルメット、ボディアーマーもさすがに装備しています。
画像の兵士はM98ボディアーマーを装備しています。
さすがにセルビアといえども兵士の人的損失を最小限にしようとする見識が窺えます。

 
こちらは砲兵
殆どユーゴ時代からの装備ですね。ヘルメットは薄さからいって旧型のスチールヘルメットでしょうか?
斜めに肩から下げているのはガスマスクケースです。
まだまだ全ての部隊への更新はされていないようですね。

 

真ん中の兵士はボディーアーマーではなく、アサルトベストを着ています。
いかにもAKマガジンサイズマガジンポーチですね。
両隣りの兵士は狙撃兵ですね。銃は大口径のものでしょうか?

 

ユーゴのドラグノフみたいな位置でしょうか。
明らかにAKの機構を参考にした狙撃銃ですね。こちらはM76狙撃銃です。
AKやドラグノフのようにサイドマウント式のスコープを装着します。
サプレッサーも装着していますね。

 
フリッツ型のヘルメットにヘルメットカバーを装着しています。
こちらの兵士もボディアーマーを装備していますね。
銃はボルトアクション式の狙撃銃のようです。

内戦の経験から狙撃兵や銃の開発は活発なのでしょうかね。

 

ボディアーマーMOLLEとは違いますが似たような方法でポーチ類を脱着できるようです。
確かワイヤーで固定だったかな??

 

一見ガリルに似ていますが、れっきとしたセルビアの国産銃です。
M70の後継として開発されたヅァスタバのM21アサルトライフルです。

マガジンを見て分かるように小口径弾を使用し、折りたたみストックを装備しています。
光学器具やグレネードランチャーも装備できます。

これからはこちらに代替されていくのでしょうかね。

 

ラッチェバム!?

以上になります。
次のセルビア画像はカオスな現用&特殊部隊又は
種類の多すぎるセルビアの銃器群!!もしくはセルビアの女性兵士特集
を考えていますw
  

Posted by アンチョビことチビ at 20:32Comments(6)旧ユーゴスラビア/セルビア軍画像・写真

2011年01月17日

第二次大戦下 武装組織チェトニク画像

第二次大戦下、ユーゴスラビアは枢軸国に占領されユーゴスラビア王国は崩壊します。
そしてドイツ、イタリア、ハンガリーなど枢軸国に領土は分割され、
いくつかの傀儡国家が成立します。

それがクロアチアとセルビアとモンテネグロの3つの国です。

そこで占領軍と傀儡政権に対し、かの有名なチトー率いるパルチザンは抵抗活動を繰り広げます。
チトーは民族の壁を超え、理想的な国家建設を提唱し、占領軍と傀儡を駆逐すること約束します。

しかしそれとは別に旧王国派でセルビア人が主体の武装組織も抵抗運動を開始します。
それがチェトニクです。



独特の装備と濃い髭でキメるチェトニク兵士。

チェトニクは旧王国の将官であったドラジャ・ミハイロヴィッチが指導者として結成しました。
ユーゴスラビアには当時いくつもの抵抗組織がありましたが、
チトーのパルチザンと双璧をなす大きな組織はチェトニクでした。

チトーチェトニクに対し、占領軍への戦いへの共闘を唱えますが
チェトニクはこれを拒否します
それどころかパルチザンに攻撃の矛先を向けます

そもそもチェトニクセルビア民族主義者反共主義者で構成されており、
共産主義のパルチザンとは相容れないものがありました。
 

イタリア製の軍服?にMP40で武装するチェトニク兵士

さらにチェトニクドイツ軍といった占領軍にはまともに抵抗活動をせず
しかも傀儡であるセルビア国協力関係にさえありました。
これは占領軍によるセルビア人への報復を恐れたという見方もあります。

何がしたいのか分からないですね・・・ですが彼らには他にも敵がいました。

それはもうひとつの傀儡国家であるクロアチアです。
クロアチアは当時、クロアチア民族主義政党のウスタシャの指導者パバリッチ
総統として就任し統治していました。

チェトニクパルチザンだけでなくクロアチアとも戦闘を繰り広げていました。
パバリッチ率いるクロアチアナチスに協力する形でユダヤ人、ジプシーだけでなく
セルビア人をも劣等人種と位置付け強制収容所へ収監し、何十万人ものセルビア人を虐殺したと言われています。

こんなことをされたらセルビア人が怒らないはずがないですね。
対してチェトニクもやり返さんとばかりにクロアチア人を迫害、何十万人も虐殺しています

まさに報復の嵐ですね・・・・

 
チェトニクによって鹵獲されたトラックとドイツ軍捕虜

一方のチトーのパルチザンチェトニクドイツ軍などと凄惨な戦いを続けながらも
勢力を次第に拡大していきます。
さらにそれに拍車をかけたのが1943年のイタリア降伏です。
パルチザンは降伏したイタリア軍の武器など豊富な物資を回収、手に入れることに成功し、
火力は元より軍の再編成など軍内部の改革も着手します。

それに対し、チェトニクは連合国の援助物資など支援などがありながらも
戦闘では敗北を繰り返します。
これはチェトニクが旧態の戦術に拘り、山岳戦などにおいて
重要な遊撃戦術をとらなかったせいだといわれています。


女性か男性か区別がつかないチェトニク兵士。頭には伝統的なチェトニク帽を被っている。

チェトニクは次第に士気も衰え、またチェトニク内部には腐敗も蔓延り、
さらに連合国による支援の停止なども重なり、チェトニクは崩壊します。

逆にパルチザンユーゴでは最大の武装組織に成長しており、
連合国は彼らを積極的に支援することに転換します。



トンプソンM1921で武装するチェトニク兵士。これも連合国の支援物資の1つだったかと思われる。

チェトニクは崩壊し、ソ連のユーゴ進入を許す形でチトーはソ連と条約を結び、
外堀を埋める形でチトーのパルチザン
戦後のユーゴスラビアの主導権と統治権を完全に掌握することになります

ユーゴにおける覇権はパルチザンのものとなります。

チェトニクの指導者ドラジャ・ミハイロヴィッチはその後、 逃亡するも逮捕され処刑されます。

チェトニクは滅びましたが数十年後のユーゴ内戦では一部のセルビア民族主義者によって
再評価され自らチェトニクと呼称する集団がいくつも登場します。
内戦中、チェトニク帽を被りチェトニクの旗を掲げ、戦闘に臨んでいったセルビア人も多いのです。

内戦が終了した現在もセルビア人の中にはチェトニクを民族の英雄、神格化する向きがあります。
ですのでもしセルビアに行かれることがありましたら安易にチェトニクを貶すと痛い目に合うかもしれません
気を付けましょう!!そんなことする人さすがにいないと思いますがw

とはいえ血で血を争う歴史であったということは肝に銘じておきまSHOW!!
  

Posted by アンチョビことチビ at 23:53Comments(9)旧ユーゴスラビア/セルビア軍画像・写真