2013年03月20日

再うp 祖父の従軍写真② 歩兵第79・第37連隊

さてさて以前に公開しました祖父の従軍写真その②ですが
諸事情により非公開にしておりましたが再度投稿させて頂きます。

前回の記事を『下書き』から『公開』するにすれば良いだけでは??
と思われる方もいらっしゃると思います・・・・

しかしURLを新規にする必要が御座いまして・・・(汗
ということで以下は以前の写しになりますのでご了承下さい!



今回は前回の続きで従軍写真の2回目をご紹介致します。

以前にも記載しました通り、半世紀以上のものとはいえ、当方の祖父個人の写真
又、所属連隊の戦友の個人写真なども含むため基本的に無断転載はご遠慮ください

ブログ等に載せたい場合などは当方に申し付けて頂ければ大概はかる~く許可させて頂きますのでw
とはいえ私自身も偉そうに言えることではありませんね・・・
この写真だけに関しましてはこいつも転載してるし、こいつのブログの画像、無断転載してもいいよね?ヒャッハァー!w的な発想だけはマジ勘弁して下さいねw

以上ご理解の上、ご覧頂ければと思います。

今回は祖父の所属した歩兵第七九連隊日中戦争中における戦地での写真をご紹介致します。


 

1、九二重機関銃を構える機関銃分隊

戦闘行動中なのか宿営地などの警備任務の最中なのか、はたまた地での訓練中なのかは詳細不明です。
しかし恐らくは戦闘中か警備中のどちらかと思われます。
冬衣防寒帽を被っていますね。まだ雪も積もっていますし寒そうです。
もし戦闘中なら前方の市街地を狙っているのでしょうか・・・?

 

2、山西省、平遥に向かって猛進撃中の兵士

こちらは行軍中の兵士たちの写真です。正確なキャプションが書かれていますので個人で撮ったものかは不明です。
前方の城壁?のような土壁が如何にも大陸ですね・・・

 

3、○○の場内を吶喊する兵士たち
先頭は連隊旗を持った将兵が先導していますね。
このキャプションからいって連隊の広報用に撮られた写真の可能性が高いですね。

 

4、昭和13年4月、山西省云々における祖父です。
正確な階級章が分かりませんが、拳銃を携行しています。銃剣も装備しています。
写真から推測すると機関銃分隊に配属されていたのでしょうか。


 

5、九二式重機関銃で対空姿勢?を取る兵士たち

三脚高射用の銃架を載せています。
場所も建物の上らしく、高い場所に設置されていますね。

射手に給弾手など4人で運用していますね。

しかし中国(国民党軍)の航空戦力はたかが知れていると思い込んでいましたが、
だからといって警戒を怠ることは許されませんよね・・・



 6、こちらは戦地の山羊と子供の写真です

この子供は日本兵を怖がっていたのでしょうか・・・?
戦災に巻き込まれずに生き残る事が出来たのでしょうか・・・

 

7、コーリャン畑を前進する兵士たち

個人的にはこのような風景こそ日中戦争を象徴するような光景と思えてなりません。

 

8、潞安平地掃討戦における中隊長の捕虜詰問


路安とはかつて山西省に存在した県の名称です。戦後廃止されることになります。
しかしこの掃討戦の詳細が気になりますね。

 

9、鹵獲した敵の砲車

一見三八式野砲(改造以前)に見えます。開戦前に中国側に輸出した三八式野砲の可能性があります。
三八式75mmの野砲ドイツのクルップ社から購入し、制式採用されたものであります。
ベストセラーの野砲ですので中国側が直にクルップから購入し導入した可能性の方が高いかもしれませんね。

 

10、昭和13年12月3日、なんとか村の露営地で中尉が撮影した写真


もうキャプションの地名が何て読むのか分かりませんw
日の丸持ってますね!しかし中尉殿がわざわざ撮影してくれた写真とは・・・




 

11、こちらは祖父の戦友(若しくは上官)の写真です


左の写真では軍衣(昭五式)襟章が変化しております。
また右の写真では眼鏡の御仁九八式軍衣を着ております。

これで大体、昭和何年かを割り出すことが出来ますね。

 

12、山西省、敵情偵察、便衣将校斥候

本当に実行されたのか分かりませんが・・・
将校が変装して敵状偵察を行うという映画やドラマのような事を行ったようですw
写真右側の軍服ではない方達がそうなのでしょう。

相手が中国軍とはいえ、偉くドエライことしますねぇ・・・・!w
敵や一般人に見つかった場合、語学力と演技力とか試されますね・・・武装とかしていくんでしょうかね?

 

13、潞安平地掃討戦における小休止に様子です

首にタオルを巻いて装備を置いてくつろいでいます。

 

14、祖父の写真


こちらもよくキャプションが読めませんw
しかし先ほどは拳銃を携行していましたが今回は銃剣のみです。
戦地ではなく、後方の安全な占領地での外出だからでしょうか・・・?

 

15、山西省云々~討伐○○部隊集結~大休止中、小僕1戦友
?。

現地の子供たちとの一枚です。小僕というのは若い男という意味なのでしょうか?
ちなみに右上祖父のようです。

しかしこの長いキャプションはよほど重要な作戦行動中だったから書いたのでしょうかね。

 

16、祖父の所属中隊若しくは小隊の将校下士官の写真でしょうか


小隊長か中隊長か分かりませんが、各々の髭の御仁達が渋すぎます・・・・
真面目な厳つい表情がまた、何とも・・・・!
軍刀もとても貫禄を醸し出し、やはり日本軍装には日本人がとても似合うと再認識致します。

 

17、祖父の上官の曹長どのです


若さも感じつつも武骨さを表情から見て取れます。
軍刀はやはり曹長なので九五式(曹長刀)なのでしょうか?

 

18、河南省彰徳縣宿舎

冬衣姿だけでなく上が襦袢姿の方もいます。
殆どの方の表情は和んでいて笑っていらっしゃいます!

外出など楽しい時間を過ごしているのでしょう。

さて今回は以上になります。

最初にも記載致しましたが無断転載厳禁でお願いします。


ちなみに日中戦争中の写真の紹介はこれで終わりです。
実家を探せばまだ見つかるかも知れませんが、今回は以上です。

もし何事もないようでしたら、次の機会に今度は連隊転属後の東南アジアでの駐屯中の写真をご紹介できたらと思います。

それでは失礼します~ノシ




タグ :日本軍写真

同じカテゴリー(旧日本軍画像・写真)の記事画像
支那事変 記念寫真帖 朝鮮第二十三部隊
祖父の従軍写真(終) 歩兵第79・第37連隊
祖父の従軍写真③ 歩兵第79・第37連隊
祖父の従軍写真① 歩兵第79・第37連隊
旧日本軍 鹵獲火器使用写真
九九式小銃のある風景
同じカテゴリー(旧日本軍画像・写真)の記事
 支那事変 記念寫真帖 朝鮮第二十三部隊 (2016-08-13 15:54)
 祖父の従軍写真(終) 歩兵第79・第37連隊 (2011-06-06 19:33)
 祖父の従軍写真③ 歩兵第79・第37連隊 (2011-05-08 12:03)
 祖父の従軍写真① 歩兵第79・第37連隊 (2011-04-23 11:17)
 旧日本軍 鹵獲火器使用写真 (2011-01-14 23:16)
 九九式小銃のある風景 (2011-01-12 23:14)
Posted by アンチョビことチビ at 12:46│Comments(12)旧日本軍画像・写真
この記事へのコメント
いやぁ、中々
貴重な写真を拝見致しました
もちろん、戦争は良く無い事でありますが、
ミリタリーファン、軍装趣味などの我々から見れば
お宝であります、
大事になさってください
Posted by もうふパパ at 2013年03月20日 15:50
自分のひいじいちゃんが中国大陸に従軍した際の写真帳がじいちゃん家にありましたが後半は全然写真がありませんでした。集合写真もありましたが半分に破れていました。その破れが意図しての破れなのかは今となってはわかりませんが残念なことです。
Posted by 山本中尉 at 2013年03月21日 10:01
14枚目のアンチョビ様のお祖父様のお写真が軽装なのはたぶんですが、聞喜県と書かれていますので1941年の山西省における中原会戦の後ではないでしょうか?

この作戦の後、日本軍はこの地域を占領しましたが、共産勢力が浸透して来たのであまり治安が良くはなかったはずなので共産勢力が浸透して来る前の極短期間の間に撮った写真もしくは日本軍がきちんと管理していた区画ではないでしょうか?

間違えていたらすみません。
Posted by nat at 2013年03月21日 21:12
こんばんわ♪
おぉ!新しいチビさんの祖父さまの写真ですね。
勇ましい…
やはり昔の兵隊さんは、将校も下士官兵も貫禄が違いますよね。
Posted by オオワシ at 2013年03月21日 21:22
>>もうふパパさん

有難う御座います!
今回の記事は過去の物を再投稿しただけではありますが
少しでも皆様のお役に立てれましたら幸いです!
Posted by アンチョビことチビアンチョビことチビ at 2013年03月21日 22:31
>>山本中尉さん

写真が無く、破損しているのは本当に残念ですね・・・
写真では全てを理解出来ませんが
従軍された祖父、曾祖父の軌跡を見て取れる数少ない資料です。
諦めずにもう少し探されてみてはいかがでしょうか?
Posted by アンチョビことチビアンチョビことチビ at 2013年03月21日 22:35
>>natさん

いえ、この写真は41年当時の物では御座いません。
祖父は39年(昭和14年)の末には復員下令を受け
翌40年の早々には帰国しております。

写真から判断致しますと夏衣袴で
聞喜県といいますと山西省南部ですので
38年から39年にかけて何度か行われた粛清作戦のものかと思われます。
(しかし正確な日付は不明です)
Posted by アンチョビことチビアンチョビことチビ at 2013年03月21日 22:55
>>オオワシさん

そうですねぇ・・・鍛え抜かれているという印象がありますね。
軍隊生活が長いせいか被服の着こなしも自然です。

しかし写真の皆さんの顔を拝見しますと
現代でも居ておかしくない顔付きの方が多く
やはり日本人だなぁ・・・と実感致します。
Posted by アンチョビことチビアンチョビことチビ at 2013年03月21日 23:01
的外れな事を言って申し訳ありません。

少しお聞きしたいのですがこの時期に国民党軍が様々な機関銃を使っていたのはよく聞きますが、ZB26などに混じってMG34などの最新の機関銃を使っていて日本軍が発見していたと聞いたのですが本当なのでしょうか?
Posted by nat at 2013年03月22日 00:20
>>natさん

MG34ですが大まかには国民党軍には輸入していなかったそうですが
私の記憶では44年の洛陽か桂林攻略戦の映像か写真で拝見したような気が致します。
(私の記憶違いかもしれませんが)

ドイツは軍事顧問だけでなく戦車や大砲だけでなく当時最新鋭の
ハインケル He111まで輸入しております。

三国同盟を結び枢軸国として共闘したドイツですが・・・
Posted by アンチョビことチビアンチョビことチビ at 2013年03月22日 23:48
貴重な写真をありがとうございます。
旧日本軍は近代戦において世界で初めて対ゲリラコマンド作戦、空挺降下作戦、空母機動打撃作戦等を実施しました。
戦術・練度・精神力を備えた精強さは、文句なしの世界一と思います。
旧日本軍について未だに悪く言う輩がおり、国を護るために殉職された英霊を総理大臣が参拝するだけで論争が起こる悲しい現実です。
しかし、貴殿の祖父様方現場の兵士達が死守しようと奮戦したからこそ、現在の経済大国日本になり得たのです。
この様な記事をお書きになると、必ず批判する輩がいると思いますが、彼らが何を言おうと国家の英雄である事に間違いありません。
この意見は右翼でも左翼でもなく、人として当たり前の事であると私は思います。
これからも貴重な写真があれば是非、御掲載して頂く事を願います。

元陸上自衛隊普通科連隊 自衛官より
Posted by 元陸自 at 2013年06月24日 09:17
>>元陸自さん

折角書き込みを下さりましたのに
返信出来ず誠に申し訳御座いません・・・!

おっしゃられると通りで御座います。
国を想い散って逝かれた方々に対し
感謝と尊敬の念を忘れてはいけないと思います。

あまり思想・政治的な事は書きたくはないのですが
私は学生生活を通して日本の近代史を学んで来ましたが・・・
私たちが学んだ内容は客観的とは云えない内容だったと思います。
高校の頃は日本の近代史を学んだ記憶が御座いません。

戦争の悲劇や残虐性を訴えるのも大切かとは思いますが
戦争の起こった過程を学ぶのが何より重要かと思います。

来月には8月を迎えますが・・・
祀られる御霊の方々の魂が静穏に夏を迎えて頂く事を願うのみです。
本当に・・・
Posted by アンチョビことチビアンチョビことチビ at 2013年07月16日 23:26
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。