2015年05月16日
実物 昭和18年製 日本陸軍 防蚊手袋
さてさてかな~り久し振りの日本軍実物装備品のご紹介になります。
と云う事で早速画像をば
こちらは 実物 昭和18年製 日本陸軍 防蚊手袋 になります。
昨年に個人業者Sさまの複製品の防蚊手袋を紹介させて頂きましたが
今回ようやく実物品を入手する事に致しました。
ちなみにSさま製の複製品の紹介記事は以下になります。
http://nihonmasamasa.militaryblog.jp/e546218.html (個人業者Sさま製 複製 日本陸軍 防蚊手袋)
生地のズーム画像。
雨衣(雨外套)記事のような目の細かい生地が使用されております。
状態は比較的良いようです。
防蚊手袋の片側の画像。
一見ただの手袋ですが・・・以前にご紹介したように
やはり特徴のある作りをしています。
挿入口は広めに作られており容易に手を入れる事が出来ます。
左右両側面には生地の繋ぎ目があり生地を有効的に使用しています。
防蚊手袋の表面と裏面には縫い目が存在します。
これはこの縫い目から上部は2枚生地になっているからです。
防蚊手袋を装着した画像。
防蚊手袋の裏面はこのように指を出す事が出来ます。
私の指のサイズなら問題なく指を出し入れ出来ます。
手袋をしながら作業などが行える優れた構造ですね。
またもう1つの特徴として手袋にはループと紐が備わっています。
紐はかなり長めに出来ているのですが
これは紐を首に掛ける形で手袋を装着するからです。
こちらは検定印の画像。
検定印は手袋の片側ではなく2つともに存在します。
昭和18年製で広島支廠である事が分かります。
良く見ると納業印の下に②と思われる数字があるのですが・・・
これはサイズ表記に当たる物なのでしょうか・・・?
さて最後に以前ご紹介したSさま製の複製品と並べてみたいと思います。
上が昨年ご紹介したSさま製の複製品の防蚊手袋。
下が今回ご紹介する実物の昭和18年製の防蚊手袋になります。
左が昨年ご紹介したSさま製の複製品の防蚊手袋。
右が今回ご紹介する実物の昭和18年製の防蚊手袋になります。
サイズなど差異は見られますが構造は変わりません。
とても良く再現されていると思います。
生地のズーム画像。
右が昨年ご紹介したSさま製の複製品の防蚊手袋。
左が今回ご紹介する実物の昭和18年製の防蚊手袋になります。
両側面の生地の繋ぎ目もよく再現されています。
実物と比べてもSさまの複製品は遜色ない仕上がりです。
ですが違いは無い訳でもありません。
片側にあるループの長さも微妙に異なっております。
検定印部の画像。
上が昨年ご紹介したSさま製の複製品の防蚊手袋。
下が今回ご紹介する実物の昭和18年製の防蚊手袋になります。
さて簡単ではありますが以上で実物 昭和18年製 日本陸軍 防蚊手袋 の紹介になります。
今回ご紹介したのは実物品ですが・・・これからの季節必要になりますね・・・!
以前にも書いたように防蚊覆面が欲しい所です。(実物も探しているのですが・・・)
防蚊覆面と手袋を合わせて装着し実際に野外で試してみたいですね・・・!
(でも暑苦しそうだなぁ・・・)
さて今回は以上になります。
ではでは~ ノシ
こんにちわ!参謀本部さん。
蚊帳を材料に防蚊覆面とは・・・!
ますます欲しいという欲求が湧いてきました(汗
骨董品の戦果ですが大戦果ですね・・・!
これは敵の損害と考えて宜しいのでしょうか(汗
確かに剛毛だと色々不便ですねぇ・・・
ですので手入れ(意味深)は欠かせません!
そう云えば「防蚊覆面」で思い出したのですが、先日の日曜日に地元の
「骨董市」に以前このプログでも掲載致しました桜○ 翔似の着装マニア
と吊るんで出かけた時の話です。
最近の骨董市は碌な軍物が出なくなり、当方も知り合いの業者に声を
掛けて「軍物は無いか・・・」と(その姿は今想像したら、まるで四国のお遍路の様でした(爆笑)
そうすると、上記の奴が私を呼んでいて近くに行くと彼が手にしているのは
戦前の「蚊帳」でした。
私に小さい声で「これ¥5,000円と云うんでもう少し負ける様に頼んで下さい」
と
知り合いの業者だったので「¥2,500円」にして貰うと、私が彼に
「それをどうするの?」と聞くと以外にも「防蚊覆面を造るんですよ!」と云った言葉に驚きましたよ!
戦前の「蚊帳」なら優に一個小隊分の将兵の「防蚊覆面」が造れると思います。
まぁ、実物の軍物を目の色を変えて探すのも「醍醐味」ですが、そんな方法も
有るんだな~と、感心しました・・・
材質は殆ど同じ様な生地ですから・・・
いつもの様に話を変えますが
ノモンハン事変に参加した方(下士官)の言ですが、ノモンハンの戦場では「蚊」も多いですが「虻」も多いそうですね!
(そう云えば日本軍の将兵がソ連軍の主力戦闘機「イー15・16」を虻と読んでいたようです)
確かに南方戦線では防蚊覆面を被ると暑さ倍増ですが刺されて「マラリア」等の病気に罹るよりは・・・
えっ?その時の骨董市での戦果ですか???
まぁ、重巡一隻大破炎上・軽巡二隻轟沈・駆逐艦二隻轟沈ですね!(汗)
何?アンチョビさんの毛は「鋼毛?」???
じゃ、例の穴に肉棒を入れる時は偉く痛いんじゃないのかな(意味深)
スイマセン!人のプログを「日記代り」にして!
こんばんわ!軍装登山の少尉さん!
書き込み下さり本当に有難う御座います・・・!
何と!ホームセンターに似たような物が存在するのですね!
これは是非探してみたいと思います!
またFさまも複製品を製作されていたとは・・・!
これはとても有難い情報で御座います!
御教授して下さり本当に有難う御座います・・・!
やはり手袋と覆面のセットでは暑くて堪らないでしょうか・・・
これでも万全とは云えないのが何とも自然の脅威で恐ろしいですね・・・
この度は書き込み本当に有難う御座います!
梅雨前に暑さも本格化して来ましたので御身体の方、御自愛下さい・・・!
こんばんわ!参謀本部さん!
ほう・・・もう防蚊手袋も珍しくなって来てるのですね!
ジューコフといえばソ連の名将ですね・・・!
そのエピソードは・・・捕虜になった日本兵はとても気の毒ですね・・・
しかし晴れ上がるぐらい刺されるというのは想像出来ませんが
どれだけ苦痛だったのかが分かりますね・・・
やはりサイズ表記はあるのですね・・・!
う~ん。。。やっぱり濡れると防蚊効果は意味がないのですね(汗
本当に無いよりマシな物だったのでしょう・・・
この度も貴重な情報を提供して頂き誠に有難う御座います!
最後に毛深さですが・・・御名答です(笑
自分は剛毛の部類かと思います!
道具は使ってナンボ、と思いつつも、貴重な実物を使うことは避けたい私にとって、実用できる複製を作って頂ける事は幸せだと思います。
高温多湿の状況下で、この手袋と覆面を着用したら暑くて堪らないでしょうね…内地の蚊ですら汗に濡れた被服の上から吸血する(防虫剤を用いても、奴等は剤の着いていない所を狙ってきます)のですから、当時の方々の御苦労が偲ばれます。
今夜はジントニック(本来のトニックウォーターはキニーネ入り)でも飲みながら、南方に思いを馳せるとします。
へ~~ぇ!このプログで久し振りに実物の軍装品の記事を見ましたよ(笑)
今度は「防蚊手袋」ですか???
最近ではお眼に掛から無くなったアイテムですね!
以前なら骨董市に行けば兵用水筒・雑嚢・巻脚絆とこの防蚊手袋が有った物です。
中華華南や南方戦線では必需品ですね。
因みに陸軍で防蚊手袋が制定されたのは昭和14年頃と聞いています。
折りしもノモンハン事変の時に戦場で蚊に刺される将兵が多かった為とか???
余談ですが、こんな話を聞いた事が有ります。
第二次ノモンハン事変で斥候に出た兵が不幸に捕虜になった時、ソ連軍
の最高司令官の「ゲオルギー・ジューコフ中将:後にソ連邦元帥」が捕虜の
日本兵を見て「誰だ!この兵を殴ったのは!!!」と怒鳴ったのでその捕虜の兵が通訳にこう云ったとの事です。
「自分は中隊長より斥候の任務を命ぜられて直ちに陣地を出発しましたが
その際に防蚊装備品(まだその頃は防蚊装備品が制定させていません)を持たずに斥候の任務に着きました」と。
その兵の顔・手は蚊に刺されて醜くく腫上っていたとの事です。
それを見たジューコフ司令官は「日本兵は世界で最強の兵だ!」と後に
回想したとの事です。
(スイマセン!「防蚊手袋」と何ら関係無い話で・・・)
本題に戻りますが、当方でも実物の防蚊手袋を何枚か所持した事が有りますが
アンチョビさんがプログの中で紹介されている「2」は号数だと思います。
因みに当方が所持していた実物では「大」「小」の号数の印が押されていました。
当時は防蚊手袋は製造が簡易の為に一般の「縫製工場」でも製造されて
いて複数の号印が存在したと思います。
ただ、勝って南方戦線に従軍した下士官によれば「防蚊手袋」は「無いよりは益しだけど余り役には立たなかった」と云う言も聞いています。
と云うのはスコ-ル等で水に濡れると「防蚊効果」が全く無くなる様です。
因みに「マラリア蚊」は一般の蚊より小さいらしいです。
と、云っても南方戦線の将兵には「防蚊覆面」「防蚊手袋」「キニ-ネ:薬品」は必需品だったのでしょう!
最後に・・・
アンチョビさんはデカ尻以外でも腕まで毛深いんですね???(笑)
長々と書込みしましたが、毎度お粗末な内容で申し訳御座いません!