2011年01月09日
日本陸軍装備① 雑嚢と水筒
私は旧日本陸軍の軍装も致しております。
といっても、こちらの方もまだまだ学習不足であり初心者ではありますが、
少しでも興味を持って頂きたく紹介する次第であります。
もし間違った記載などございましたら何卒ご教授の方お願い致します。
まずは基本装備中の基本の兵下士官用雑嚢です。
後で紹介する兵下士官用水筒の2つとも旧日本陸軍兵士をする上で欠かすことの出来ない必須装備です。
最初は雑嚢から。
このようにカーキ色でシンプルな日本陸軍の兵下士官用雑嚢です。
ちなみに画像のものは中田製のレプリカです。
ベルトに固定させるためのフック及びその他金具類は塗装されています。
一部は経年と過度の使用のため塗装が剥げています。
中身ですがこのようになっています。
中に仕切りがあり、実際の兵士たちは兵士の日用品から手榴弾など様々の物を収納していました。
ですので色々詰め込め、意外と収納力があると思います。
雑嚢にも様々なバリエーションがあります。
これ以前の旧型の雑嚢は蓋の開け閉めは紐ではなく革のバックルになっていました。
戦争が長引くにつれて雑嚢もどんどんと簡略化されていき、
末期には肩掛けの調節すら出来なくなり、内部の仕切りすら無くなります。
私はサバゲでしか使わないので日章旗や軍手、手袋などを入れています。
たまにサクマ式ドロップなども入れてカラカラさせていることもw
あまりいらっしゃらないと思いますが、雑嚢をマガジンポーチ代わりにするのは少々厳しそうですね。
雑嚢は基本背の右後ろに配置させますのでマグポやダンポポーチ代わりさせるには
どうしても身体の前や横に配置させないといけません。
しかし実際の戦場の兵士が皆そうだったとは限りませんが・・・w
お次は水筒です。
かなり汚れていますが、こちらも中田商店製のレプリカです。
水筒にも何個かバリエーションがございます。
これ以前の旧型水筒は瓶のような形が特徴です。
ハーネスは革と生地製の2種類だったのですが、あまりに容入る量が少なかったので
画像のような新型が正式採用されました。
ちなみに画像の水筒のハーネスにもバリエーションがあります。
画像のように水筒の蓋を紐で固定するハーネスと
革バンドで水筒の紐を固定するハーネスです。
いずれも中田商店でハーネス単体で販売されています。
実物の水筒やハーネスの方が安くで手に入る場合もありますね。
ちなみに兵隊さんは水筒のハーネスに自分の名前の名札を貼ったりしてました。
子供みたいだな!と思われる方もいらっしゃると思いますが
軍隊における個人管理は極めて重要かつ責任重大です。
盗難防止という意味も含めると間違いなく正解でしょう!
旧日本軍や現在の自衛隊においても、何処の軍隊でもしているのです。
皆さんもここは真似してみてはいかがでしょうか?
次に雑嚢と水筒の着用の仕方を紹介します。
まずは画像を。
かなり適当な着用の仕方ですが、そこはご勘弁をw
日本陸軍においては雑嚢の配置は必ずといってよい程、右後ろに配置します。
逆に海軍陸戦隊は雑嚢を逆の左後ろに配置しているのが多いようですね。
反目し合ってるとは言いませんが逆なのは意味があるのでしょうか・・・?
水筒の配置ですが、こちらは左右のどちらでも良いようです。
(**訂正**拳銃嚢を装備する場合や騎兵など乗馬本分者は水筒を左後ろします。)
しかし!!圧倒的に多いのは画像左の雑嚢の上に水筒というのが多いです。
部隊などによってもしかしたら差があるかもしれませんが、
左向きに水筒を配置した場合、銃剣と干渉して邪魔になり、
音が鳴ったりすることがあるからでしょう。
ですので雑嚢と水筒を装備する際は画像左の配置にした方が良いです!
また装着する際の注意は
気を付けの姿勢をして、雑嚢と水筒が手に当たらなければ良いようです!
ということで今回は雑嚢と水筒の紹介でした~
確かこの当時着用しているのは確か・・・
部屋用の実物九八式夏軍衣の6号になります・・・
(実物ですいません!)
ですので袴に対して上衣が小さいのでお尻が強調されてしまうのです(汗
歩兵の皆さんは徒歩での行軍が基本ですので
さぞお辛かったことでしょう・・・
規定以上の重量の荷を背嚢に入れて背負うことも常だったとか・・・
しかし手榴弾のピンが雑嚢に入れていると抜けるというのは初めて伺いました!
やはっり従軍された方の体験談でしか分からない事も多いですね・・・!
胸ポケットはともかく革帯に挟むのは勉強になります!

また、古い記事に下らないコメントを掲載させて頂きます。
私の知っている人で昔中支派遣軍で上海戦線から南京攻略まで
従軍された歩兵軍曹さんが云って居られたのが「歩兵は歩くのが商売だよ!」
三八式から円匙・携帯鉄線鋏・糧秣(米その他)を2日分・
実包120発(内、空砲10発)・その他を持たされて延々上海~南京
まで歩いたそうです。(それが、日本陸軍歩兵部隊の運命なのだ!)
その軍曹さんが云って居られたのが、雑嚢には重量物は殆ど入れなかった見たいです。(手榴弾とか?)
その頃の日本軍の手榴弾は「九一式?」ですが、行軍中に雑嚢の中で
他の物と触れてピンが抜けて暴発するみたいですね!
では、ど~するの、と、聞きましたら軍服の胸物要れ(ポケット)か
帯革の右脇腹に挟めて行軍した様です。
それだと、市街戦や抗日ゲリラに咄嗟に応戦出来る様です。
だから、雑嚢には殆ど「乾パン・応急三角巾」等の軽量物を
入れた様です。
アンチョビさんのプログ画像の水筒は「九四式水筒乙型」ですね!
「甲・乙」の違いはお解りとは思いますが、栓を革紐で留めるか
布紐かの違いだけです!
因みに不確実ですが、第二次上海戦に参加した海軍水兵さんの話では
雑嚢の位置は海軍の場合は「防毒面」を付ける為だとか?
(余り信憑性に欠けるので信用しないで下さい!)
最後にお尋ねしますが、画像のモデルの「デカ尻」はアンチョビさんでしょうか?(笑)
はじめまして肉弾さん。
当方所持の中田製の水筒ですが
本体はいずれも実物です。
実物ですので実用には。。。相当の洗浄技術が必要かと思います・・・

はじめまして海東さん。
時間的にはこんばんわ・・かな?w
出会系業者などの不穏な要素も含むため、
申し訳ございませんがEメールを通してのご連絡はご遠慮願います。
まずご用件は何でしょうか・・・?
