2012年02月27日
中田製 複製 昭五式背嚢
さて今回は中田製の複製品をご紹介したいと思います。
今や絶版品となってしまった品ではありますが・・・
まずはいつも通り画像から!

こちらは中田製 複製 昭五式背嚢です。
言わずと知れた現在、中田商店の絶版品で入手すら困難の品です・・・
そのため希少価値が高く、定価の倍以上の価格になることも・・・
何とか奇跡的に入手出来ました・・・(その分高い出費となりましたが・・・)
さて昭五式背嚢ですが、昭五式軍衣袴などその他装備と同様に
昭和5年(1930年)に新たな制定され、従来は毛皮式背嚢だった物から転換されました。
この昭五式背嚢の後発として昭和14年(1939年)より九九式背嚢(蛸足背嚢)が登場しますが
九九式背嚢は主に東南アジアといった南方など太平洋戦域に優先支給されたそうで(果たして総じてそうなのかは疑問ですが)
大陸では終戦まで昭五式背嚢、そして旧型の毛皮背嚢が使用され続けたそうです。
確かに九九式背嚢を装備した将兵の姿の従軍写真は少ないのですが(単に私のサーチ不足なのですがw)
昭五式背嚢は採用期間が満州事変以前と長いこともあり、大陸での従軍写真ではしょっちゅう拝見します。
また極めて少数ですが仏印進駐や初期の南方作戦での着用も見受けれます。
しかし背嚢の構造、材質を考えますと
革素材の多い昭五式は高温多湿の南方では不向きなのは至極当然で
逆に綿素材の九九式が最適なのは言うまでもないと思います。
つまり大陸戦線の兵士の軍装には必要不可欠と行き着くことになるのですね・・・


複製 昭五式背嚢の全体画像。
画像の昭五式ですが、未使用品とのことでしたが、
どうやら装備縛着用の革帯が2本程欠品しているようです・・・・
(まぁ革帯ぐらいの代用は幾らでも用意出来ますので)
しかし・・・この背嚢・・・革が多いです・・・・w
背嚢本体の縁にも革が縫い付けられており、
現代の感覚だと予算と手間隙が掛かっていると思わざるを得ません。
そして何よりの特徴は背嚢本体の背側に当たる部分は毛皮だということです。
う~ん・・・何という高級感!とても軍用とは思えませんね。(軍用なんですけどね!)
ちなみに画像の昭五式ですが早速オイルで手入れしております。


背嚢本体の裏表のアップ。
さすが中田製だけあって生地も良く、素晴らしい雰囲気を醸しだしております。
しかしひとつ残念な点が1個所・・・!

何故か私の昭五式だけ背側の牛毛皮が生地の継ぎ目?というか裁断があります・・・
画像は牛毛皮の真ん中にある縫い目です。
一見して同じ毛皮生地にしか見えなかったのですが・・・やはり節約のための生地の繋ぎ合わせでしょうか。。。?
もしくは補強のためかもしれません。
実物にも同様の仕様があれば安心というか納得出来るのですが・・・
私見ですが恐らくは中田のロット差による仕様差の可能性が大ですね・・・
う~ん・・・ちょい残念というか分からないというか。。。

それではここからは各部の大まかの紹介をしたいと思います。
まずこの画像は背嚢上部です。
背嚢上部では背負い用負革と装備縛着用の革帯(革紐)の2種類(合計4本)を装着します。
また+αですが本体に縫い付け固定されている革紐の輪が1本ございます。
そしてこれらの革帯は本体より取り外しが可能です。

上から見た背嚢上部の画像。
装備縛着用の革帯(革紐)は外した状態です。
とても特徴的な構造になっていますね。

続いては背嚢下部(底部)の画像。
背嚢下部(底部)では上で紹介した背負い用負革と背嚢の蓋を閉める革帯、
さらには飯盒固定用の革帯の3種類(合計5本)を固定します。
いずれも革製ですが金具によって長さの調節が可能です。

上から見た背嚢下部(底部)の画像。
こちらの画像では背負い用負革を取り外しています。
ですので画像では蓋閉め用の革と飯盒固定用の革を締めている状態です。
背嚢下部(底部)は取り付け&長さ調整用の金具(バックル)があるのが特徴ですね。

しかし・・・やはりというか予想通り、革を適正サイズにすると、
相当の長さの革が余ります・・・
貴重な品なので切って調節するわけにもいきません・・・(勿体無いですしね)
どうしようかしら・・・まぁいいか!

さてお次は背嚢の左右側面部分のご紹介。
こちらの画像は背嚢を正面から見て左側の側面です。
端(縁)は革が縫い付けられて補強されています。
その革製の端(縁)に4箇所挿入口があるのがお分かりでしょうか・・・?
この革製入り口に装備縛着用の革帯(革紐)を挿入するのです。
つまり革帯(革紐)は取り外し可能なのです。
装備縛着用の革帯(革紐は縫い付け固定では無いのです・・・!
ちなみにこの背嚢左側面で2本の革帯(革紐)を通します。

左側面に革帯(革紐)を通した状態。
挿入口の革はしっかりとした生地でちゃんと縫い付けらており、安心して挿入できます。

続いてはは背嚢を正面から見て右側の側面です。
左側面では挿入口は4箇所ありましたが、
右側面では挿入口は2箇所しかございません。
(要は革紐は1本のみの挿入となります。)
つまり左右側面は非対称の作りになっているのです。
これは背嚢左側面では小円匙などを縛着しますので革帯が2本必要で、
右側では毛布(場合によっては地下足袋を+α)を縛るだけですので必要ないという事なのでしょうか。
要は装備の縛着の位置には明確な規定があった・・・ということになりますね。

さてお次は背嚢内部を紹介していきたいと思います。
こちらの画像は背嚢の蓋を開けた状態です。
内部も特徴ある作りになっております。

まず蓋の裏側には検定印があります。
中田製を示すマークと昭和12年(1937年)の製造年の印です。
中田製の設定は昭五式でも後期に近い物のようですね。

ちなみに蓋の裏側には検定印の他に小物を入れる物品入れがあります。
かなり薄手ではありますが意外と収納量がございます。
この物品入れは紐で括って口を締めます。

検定印のある蓋を開けると続いては左右2つに分かれた中蓋があります。
この2つの中蓋は紐2箇所を括ることで蓋を閉めます。

この中蓋部分の画像。
括る紐は細い薄緑色のものです。
また中蓋と本体への接合部は上で紹介した装備縛着用革帯の挿入口の1つになっています。

2つの中蓋を開けると今度は背嚢上下を結ぶ革帯(革紐)が姿を現します。
この革帯もバックル式ですの長さの調節可能です。
この革紐締めるのは上下をきつく締めることにより
恐らく背嚢内部にある木製の骨組み(フレーム)を安定固定させるためでしょうか。
しかし開け閉めに何と手間の掛かる背嚢なんだ・・・・w

そして上記の上下を結ぶ革帯(革紐)を外すと木製の骨組みが姿を現します。
初めてこの背嚢を知った方は『まさか背嚢の中に木箱が!?』と思われることでしょう・・・w
私も最初は本当に驚きましたw
この木製の四角形の骨組みですが、背嚢の型崩れ防止の意味もあります。
この木のおかげで背嚢は四角形の形状を維持出来るのです。
背嚢に重量のある小円匙や飯盒を縛着しても、片側に重量が片寄っても、
この木があるおかげ背嚢は型崩れ起き難く、負荷が分散出来るです。
そして何よりこれはあることにより物品の収納も容易で収納量もあるということになります。
しかし衝撃には・・・弱そうな気もします・・・
何とも特徴のある構造ですね!

内部の木の骨組みを外した状態。
スッカラカンです。

こちらは内部にある木を外した物です。
細い木を繋ぎ合わせ組み立てた物のようです。

木の骨組みを上から見た画像です。
ご存知の方はご存知かと思いますが・・・
この木の骨組みは前部後部は非対称の作りになっています。
画像の木ですが上側が背嚢背側に当たる部分になり
下側が背嚢正面になります。
上側の背嚢背側に当たる部分の木が薄くカーブを描くように凹んでいるのがお気づきでしょうか?
これは木製の骨組みが背に当たることを考慮してこのような形状になったようです。
確かに真っ直ぐな木でも背負えなくはありませんが、こちらの方が格段に背負いやすいでしょう!
細かい所まで配慮した作りですね。中田さんはここまで再現なさるのも凄いですね・・・!

木のフレームの繋ぎ目(接合部分)のアップ。
木の繋ぎ目ですが凹状のものと凸状のものを合わせています。
それに大小6本の釘を打ち込んで固定しているようですね。


木のフレームの接合部の内側の画像。
接合部の内側(裏側)はこのようになっています。
裏から2本の釘が打たれているようです。
しかし、これが釘として・・・相当長い代物を打ち込んでいるのでしょうか?
裏表から打ち込み固定しているにしても
外枠の木の細さからしっかり打ち込めているのか心配なのは私だけでしょうか・・・?w

次は背嚢の背負い革の紹介を致します。
こちらも特徴のある構造をしています。

こちらが背負い革の画像。
合計で個別の3つの革で構成されています。

①まずは背負い革の肩当部分。
こちらの革は肩に直接当たる部分ですの幅広になっております。
背嚢本体上部に装着するため2穴ずつあるのが特徴です。
最も負荷の掛かる部分でもあります。

②続いては兵用革帯に引っ掛けるための金具のある革帯(革紐)です。
これは兵用革帯に引っ掛けることで背嚢の重量を軽減(分散)させるためのものです。
この方式は九九式背嚢などそれ以降の背嚢からは見られなくなりますが、
徒歩での行軍の多い旧軍には最適な仕組みやもしれません。

兵用革帯に引っ掛ける金具のアップ。
この金具はバックル機能もありますので革の長さ調節も行えます。
意外と重要かつミソな金具です。

金具を外した状態。
革を通すループが2つあります。
そのうちのひとつは縫い付け固定されています。

③最後に背嚢下部(底部)に装着すための革帯(革紐)です。
以上、上記の3つで背負い革は構成されています。
この革もバックルが付いておりますので取り外しか可能です。

取り外した状態。
しかし・・・革が長すぎるような気もします・・・・


お次は上記3つの背負い革の接合する部分のアップ。
この接合部は表が革製で裏がピン?の物で留められています。
ですので3つの革はそれぞれ取り外しが可能です。(たぶん)
しかし総じて何ともパーツ点数の多い、複雑な背負い革ですね・・・・
まぁその分、もし1個所が破損しても取り替えが利く・・・ということでもありますね。

さてお次は装備縛着用の革帯(革紐)をご紹介致します。
こちらは背嚢上部に縛着するための革帯です。

どうやら中田製の昭五式では上部の縛着用革帯は背嚢側面に縛着する革帯と仕様が異なるようです。
なぜなら・・・

側面用とは異なるからです。
こちらの画像は背嚢側面の縛着用ですが、
上記の背嚢上部の物は革のループが革製となっておりますが、
こちらの側面用ではループは金具になっております。
一見同じに見えますが、何故か中田製では使い分けられております。
実物ではどうなのでしょう・・・?謎ですね・・・

上部の装備縛着用の革帯ですが、
背嚢上部の丸い切り抜きのある革へ通します。

このようにして・・・
(実は革帯の向きも重要だったりするんでしょうかね)

このようにします。
さて最後に・・・・

装備を縛着した昭五式背嚢を・・・・
(かな~り適当で歪んでたりしていますが・・・w)
今再度確認してみたら飯盒の取っ手を通すの忘れていますね・・・・w
携帯天幕、毛布、小円匙、飯盒。地下足袋など基本的な物を装着しています。
(ちなみ側面の縛着革帯は欠品してますので一部別の物を使用しています。)
縛着しての感想ですが・・・
九九式(蛸足)と違い革にバックルで留めますので装備は留め易いのですが・・・
きつめに留めても飯盒が妙にぐらついたりと少々心配な箇所もあります。
また総じて革製ですので酷使すると間違いなく損耗しますので縛着用革帯は消耗品と考えるべきでしょうか・・・
それに伴って手入れもかなり手間の掛かるとも思います。
ゲームやイベントでしょっちゅう使える代物ではございませんが・・・
大切にしていきたいと思います・・・!
是非、昭五式夏軍衣袴と揃えて装備したいと思っています。
以上、中田製 複製 昭五式背嚢でした~
今や絶版品となってしまった品ではありますが・・・
まずはいつも通り画像から!
こちらは中田製 複製 昭五式背嚢です。
言わずと知れた現在、中田商店の絶版品で入手すら困難の品です・・・
そのため希少価値が高く、定価の倍以上の価格になることも・・・
何とか奇跡的に入手出来ました・・・(その分高い出費となりましたが・・・)
さて昭五式背嚢ですが、昭五式軍衣袴などその他装備と同様に
昭和5年(1930年)に新たな制定され、従来は毛皮式背嚢だった物から転換されました。
この昭五式背嚢の後発として昭和14年(1939年)より九九式背嚢(蛸足背嚢)が登場しますが
九九式背嚢は主に東南アジアといった南方など太平洋戦域に優先支給されたそうで(果たして総じてそうなのかは疑問ですが)
大陸では終戦まで昭五式背嚢、そして旧型の毛皮背嚢が使用され続けたそうです。
確かに九九式背嚢を装備した将兵の姿の従軍写真は少ないのですが(単に私のサーチ不足なのですがw)
昭五式背嚢は採用期間が満州事変以前と長いこともあり、大陸での従軍写真ではしょっちゅう拝見します。
また極めて少数ですが仏印進駐や初期の南方作戦での着用も見受けれます。
しかし背嚢の構造、材質を考えますと
革素材の多い昭五式は高温多湿の南方では不向きなのは至極当然で
逆に綿素材の九九式が最適なのは言うまでもないと思います。
つまり大陸戦線の兵士の軍装には必要不可欠と行き着くことになるのですね・・・
複製 昭五式背嚢の全体画像。
画像の昭五式ですが、未使用品とのことでしたが、
どうやら装備縛着用の革帯が2本程欠品しているようです・・・・
(まぁ革帯ぐらいの代用は幾らでも用意出来ますので)
しかし・・・この背嚢・・・革が多いです・・・・w
背嚢本体の縁にも革が縫い付けられており、
現代の感覚だと予算と手間隙が掛かっていると思わざるを得ません。
そして何よりの特徴は背嚢本体の背側に当たる部分は毛皮だということです。
う~ん・・・何という高級感!とても軍用とは思えませんね。(軍用なんですけどね!)
ちなみに画像の昭五式ですが早速オイルで手入れしております。
背嚢本体の裏表のアップ。
さすが中田製だけあって生地も良く、素晴らしい雰囲気を醸しだしております。
しかしひとつ残念な点が1個所・・・!
何故か私の昭五式だけ背側の牛毛皮が生地の継ぎ目?というか裁断があります・・・
画像は牛毛皮の真ん中にある縫い目です。
一見して同じ毛皮生地にしか見えなかったのですが・・・やはり節約のための生地の繋ぎ合わせでしょうか。。。?
もしくは補強のためかもしれません。
実物にも同様の仕様があれば安心というか納得出来るのですが・・・
私見ですが恐らくは中田のロット差による仕様差の可能性が大ですね・・・
う~ん・・・ちょい残念というか分からないというか。。。
それではここからは各部の大まかの紹介をしたいと思います。
まずこの画像は背嚢上部です。
背嚢上部では背負い用負革と装備縛着用の革帯(革紐)の2種類(合計4本)を装着します。
また+αですが本体に縫い付け固定されている革紐の輪が1本ございます。
そしてこれらの革帯は本体より取り外しが可能です。
上から見た背嚢上部の画像。
装備縛着用の革帯(革紐)は外した状態です。
とても特徴的な構造になっていますね。
続いては背嚢下部(底部)の画像。
背嚢下部(底部)では上で紹介した背負い用負革と背嚢の蓋を閉める革帯、
さらには飯盒固定用の革帯の3種類(合計5本)を固定します。
いずれも革製ですが金具によって長さの調節が可能です。
上から見た背嚢下部(底部)の画像。
こちらの画像では背負い用負革を取り外しています。
ですので画像では蓋閉め用の革と飯盒固定用の革を締めている状態です。
背嚢下部(底部)は取り付け&長さ調整用の金具(バックル)があるのが特徴ですね。
しかし・・・やはりというか予想通り、革を適正サイズにすると、
相当の長さの革が余ります・・・
貴重な品なので切って調節するわけにもいきません・・・(勿体無いですしね)
どうしようかしら・・・まぁいいか!
さてお次は背嚢の左右側面部分のご紹介。
こちらの画像は背嚢を正面から見て左側の側面です。
端(縁)は革が縫い付けられて補強されています。
その革製の端(縁)に4箇所挿入口があるのがお分かりでしょうか・・・?
この革製入り口に装備縛着用の革帯(革紐)を挿入するのです。
つまり革帯(革紐)は取り外し可能なのです。
装備縛着用の革帯(革紐は縫い付け固定では無いのです・・・!
ちなみにこの背嚢左側面で2本の革帯(革紐)を通します。
左側面に革帯(革紐)を通した状態。
挿入口の革はしっかりとした生地でちゃんと縫い付けらており、安心して挿入できます。
続いてはは背嚢を正面から見て右側の側面です。
左側面では挿入口は4箇所ありましたが、
右側面では挿入口は2箇所しかございません。
(要は革紐は1本のみの挿入となります。)
つまり左右側面は非対称の作りになっているのです。
これは背嚢左側面では小円匙などを縛着しますので革帯が2本必要で、
右側では毛布(場合によっては地下足袋を+α)を縛るだけですので必要ないという事なのでしょうか。
要は装備の縛着の位置には明確な規定があった・・・ということになりますね。
さてお次は背嚢内部を紹介していきたいと思います。
こちらの画像は背嚢の蓋を開けた状態です。
内部も特徴ある作りになっております。
まず蓋の裏側には検定印があります。
中田製を示すマークと昭和12年(1937年)の製造年の印です。
中田製の設定は昭五式でも後期に近い物のようですね。
ちなみに蓋の裏側には検定印の他に小物を入れる物品入れがあります。
かなり薄手ではありますが意外と収納量がございます。
この物品入れは紐で括って口を締めます。
検定印のある蓋を開けると続いては左右2つに分かれた中蓋があります。
この2つの中蓋は紐2箇所を括ることで蓋を閉めます。
この中蓋部分の画像。
括る紐は細い薄緑色のものです。
また中蓋と本体への接合部は上で紹介した装備縛着用革帯の挿入口の1つになっています。
2つの中蓋を開けると今度は背嚢上下を結ぶ革帯(革紐)が姿を現します。
この革帯もバックル式ですの長さの調節可能です。
この革紐締めるのは上下をきつく締めることにより
恐らく背嚢内部にある木製の骨組み(フレーム)を安定固定させるためでしょうか。
しかし開け閉めに何と手間の掛かる背嚢なんだ・・・・w
そして上記の上下を結ぶ革帯(革紐)を外すと木製の骨組みが姿を現します。
初めてこの背嚢を知った方は『まさか背嚢の中に木箱が!?』と思われることでしょう・・・w
私も最初は本当に驚きましたw
この木製の四角形の骨組みですが、背嚢の型崩れ防止の意味もあります。
この木のおかげで背嚢は四角形の形状を維持出来るのです。
背嚢に重量のある小円匙や飯盒を縛着しても、片側に重量が片寄っても、
この木があるおかげ背嚢は型崩れ起き難く、負荷が分散出来るです。
そして何よりこれはあることにより物品の収納も容易で収納量もあるということになります。
しかし衝撃には・・・弱そうな気もします・・・
何とも特徴のある構造ですね!
内部の木の骨組みを外した状態。
スッカラカンです。
こちらは内部にある木を外した物です。
細い木を繋ぎ合わせ組み立てた物のようです。
木の骨組みを上から見た画像です。
ご存知の方はご存知かと思いますが・・・
この木の骨組みは前部後部は非対称の作りになっています。
画像の木ですが上側が背嚢背側に当たる部分になり
下側が背嚢正面になります。
上側の背嚢背側に当たる部分の木が薄くカーブを描くように凹んでいるのがお気づきでしょうか?
これは木製の骨組みが背に当たることを考慮してこのような形状になったようです。
確かに真っ直ぐな木でも背負えなくはありませんが、こちらの方が格段に背負いやすいでしょう!
細かい所まで配慮した作りですね。中田さんはここまで再現なさるのも凄いですね・・・!
木のフレームの繋ぎ目(接合部分)のアップ。
木の繋ぎ目ですが凹状のものと凸状のものを合わせています。
それに大小6本の釘を打ち込んで固定しているようですね。
木のフレームの接合部の内側の画像。
接合部の内側(裏側)はこのようになっています。
裏から2本の釘が打たれているようです。
しかし、これが釘として・・・相当長い代物を打ち込んでいるのでしょうか?
裏表から打ち込み固定しているにしても
外枠の木の細さからしっかり打ち込めているのか心配なのは私だけでしょうか・・・?w
次は背嚢の背負い革の紹介を致します。
こちらも特徴のある構造をしています。
こちらが背負い革の画像。
合計で個別の3つの革で構成されています。
①まずは背負い革の肩当部分。
こちらの革は肩に直接当たる部分ですの幅広になっております。
背嚢本体上部に装着するため2穴ずつあるのが特徴です。
最も負荷の掛かる部分でもあります。
②続いては兵用革帯に引っ掛けるための金具のある革帯(革紐)です。
これは兵用革帯に引っ掛けることで背嚢の重量を軽減(分散)させるためのものです。
この方式は九九式背嚢などそれ以降の背嚢からは見られなくなりますが、
徒歩での行軍の多い旧軍には最適な仕組みやもしれません。
兵用革帯に引っ掛ける金具のアップ。
この金具はバックル機能もありますので革の長さ調節も行えます。
意外と重要かつミソな金具です。
金具を外した状態。
革を通すループが2つあります。
そのうちのひとつは縫い付け固定されています。
③最後に背嚢下部(底部)に装着すための革帯(革紐)です。
以上、上記の3つで背負い革は構成されています。
この革もバックルが付いておりますので取り外しか可能です。
取り外した状態。
しかし・・・革が長すぎるような気もします・・・・
お次は上記3つの背負い革の接合する部分のアップ。
この接合部は表が革製で裏がピン?の物で留められています。
ですので3つの革はそれぞれ取り外しが可能です。(たぶん)
しかし総じて何ともパーツ点数の多い、複雑な背負い革ですね・・・・
まぁその分、もし1個所が破損しても取り替えが利く・・・ということでもありますね。
さてお次は装備縛着用の革帯(革紐)をご紹介致します。
こちらは背嚢上部に縛着するための革帯です。
どうやら中田製の昭五式では上部の縛着用革帯は背嚢側面に縛着する革帯と仕様が異なるようです。
なぜなら・・・
側面用とは異なるからです。
こちらの画像は背嚢側面の縛着用ですが、
上記の背嚢上部の物は革のループが革製となっておりますが、
こちらの側面用ではループは金具になっております。
一見同じに見えますが、何故か中田製では使い分けられております。
実物ではどうなのでしょう・・・?謎ですね・・・
上部の装備縛着用の革帯ですが、
背嚢上部の丸い切り抜きのある革へ通します。
このようにして・・・
(実は革帯の向きも重要だったりするんでしょうかね)
このようにします。
さて最後に・・・・
装備を縛着した昭五式背嚢を・・・・
(かな~り適当で歪んでたりしていますが・・・w)
今再度確認してみたら飯盒の取っ手を通すの忘れていますね・・・・w
携帯天幕、毛布、小円匙、飯盒。地下足袋など基本的な物を装着しています。
(ちなみ側面の縛着革帯は欠品してますので一部別の物を使用しています。)
縛着しての感想ですが・・・
九九式(蛸足)と違い革にバックルで留めますので装備は留め易いのですが・・・
きつめに留めても飯盒が妙にぐらついたりと少々心配な箇所もあります。
また総じて革製ですので酷使すると間違いなく損耗しますので縛着用革帯は消耗品と考えるべきでしょうか・・・
それに伴って手入れもかなり手間の掛かるとも思います。
ゲームやイベントでしょっちゅう使える代物ではございませんが・・・
大切にしていきたいと思います・・・!
是非、昭五式夏軍衣袴と揃えて装備したいと思っています。
以上、中田製 複製 昭五式背嚢でした~
Posted by アンチョビことチビ at 19:18│Comments(8)
│・日本軍 複製レプリカ 装備
この記事へのコメント
>>Y.A.S.さん
成る程。1940年ぐらいの大陸の写真で散見するのも頷けますね!
成る程。1940年ぐらいの大陸の写真で散見するのも頷けますね!
Posted by アンチョビことチビ
at 2012年12月28日 00:05

以前お見せしました、私が所有する昭五式背嚢と九九式背嚢の間に製造されたリュック型背嚢ですが、名前は昭和十三年試製背嚢と言うそうです
Posted by Y.A.S. at 2012年12月24日 18:33
>>Friedrichさん
おおぅ・・Friedrichさんも拝見なされておられましたか!w
もう・・・なんというか・・・凄い価格高騰ぶりですねぇ・・・
中田製の昭五式背嚢は採算の取れない逸品と聞きました。
材質もさることながら大分製造にも手間の掛かる品ですものねぇ・・・
もう再販は二度とないと中田さんは断言なされたそうです・・・
私は所詮、知識の伴わない若輩者ですので
まだまだ駆け出しレベルに過ぎませんですよ!
私よりお若い方のほうが全然博学ですし・・・
おおぅ・・Friedrichさんも拝見なされておられましたか!w
もう・・・なんというか・・・凄い価格高騰ぶりですねぇ・・・
中田製の昭五式背嚢は採算の取れない逸品と聞きました。
材質もさることながら大分製造にも手間の掛かる品ですものねぇ・・・
もう再販は二度とないと中田さんは断言なされたそうです・・・
私は所詮、知識の伴わない若輩者ですので
まだまだ駆け出しレベルに過ぎませんですよ!
私よりお若い方のほうが全然博学ですし・・・
Posted by アンチョビことチビ
at 2012年03月03日 22:04

こんばんは!
かなり熱くなっていましたねwww
指をくわえて見ておりました(笑)
写真の方とても参考になります><!!
しかし、この背嚢を作ろうとしたら、とても予算がかかりますね。。。
25000円で販売できる中田商店さんには頭が上がりません。。。
アンチョビさんは最強の支那派遣軍になってくださいね(笑)
かなり熱くなっていましたねwww
指をくわえて見ておりました(笑)
写真の方とても参考になります><!!
しかし、この背嚢を作ろうとしたら、とても予算がかかりますね。。。
25000円で販売できる中田商店さんには頭が上がりません。。。
アンチョビさんは最強の支那派遣軍になってくださいね(笑)
Posted by Friedrich at 2012年03月03日 00:33
>>toraさん
いえいえ!今回、私が購入できましたのはまだ偶然であります!
それ以前の物など・・・それは私でも手が出せませんでした・・・
事情により静観しておりましたが・・・ようやく・・・!!といったところですw
確かにこの昭五式背嚢は素晴らしいのですが・・・
実際激しい運動のサバゲでの使用はあまりお勧め致しませんw
(あくま私見ですが)
無論当時の兵達はこれを装備していたのですが・・・
肩に掛ける負紐が革製、木製フレームの点など過度の使用に耐えれるか疑問です・・・
まぁ本来はそのような物ではないかと思いますが・・・・
また革素材&毛皮がありますので使用後のメンテ、保管方法に気を付けなければいけません。
しかし九七式用にそのような物まで製作なされるとは・・・!?
いやはや脱帽です・・・多少作りが甘くても製作されることに意味があるのです!!
素晴らしい限りです!
いえいえ!今回、私が購入できましたのはまだ偶然であります!
それ以前の物など・・・それは私でも手が出せませんでした・・・
事情により静観しておりましたが・・・ようやく・・・!!といったところですw
確かにこの昭五式背嚢は素晴らしいのですが・・・
実際激しい運動のサバゲでの使用はあまりお勧め致しませんw
(あくま私見ですが)
無論当時の兵達はこれを装備していたのですが・・・
肩に掛ける負紐が革製、木製フレームの点など過度の使用に耐えれるか疑問です・・・
まぁ本来はそのような物ではないかと思いますが・・・・
また革素材&毛皮がありますので使用後のメンテ、保管方法に気を付けなければいけません。
しかし九七式用にそのような物まで製作なされるとは・・・!?
いやはや脱帽です・・・多少作りが甘くても製作されることに意味があるのです!!
素晴らしい限りです!
Posted by アンチョビことチビ
at 2012年03月01日 21:07

某オクでものすごい銃撃戦の跡を見てきましたw
やっぱり布と革と木の組み合わせっていいですよね。
toraも欲しいっす。
アンチョビさんの完全軍装+三八式とか擲弾筒とかのために
総動員された諭吉員数を数えると、多分最新式の米軍軍装に
ショップチューンの電動ガンを装備した兵士を何人作れるんだろう・・
toraは経済封鎖されてるので最近軍備は自作ですw
今日は九七式狙撃銃用の転螺器を作ってみました。
実物が無いので適当に作ったらサイズが微妙に大きい(ノД`)
やっぱり布と革と木の組み合わせっていいですよね。
toraも欲しいっす。
アンチョビさんの完全軍装+三八式とか擲弾筒とかのために
総動員された諭吉員数を数えると、多分最新式の米軍軍装に
ショップチューンの電動ガンを装備した兵士を何人作れるんだろう・・
toraは経済封鎖されてるので最近軍備は自作ですw
今日は九七式狙撃銃用の転螺器を作ってみました。
実物が無いので適当に作ったらサイズが微妙に大きい(ノД`)
Posted by tora at 2012年03月01日 20:26
>>YASさん
入手先についてはノーコメントという方向で・・・(汗
しかし当商品ですが定価での購入まず不可能ですね・・
かなり痛い勉強となりました。
九九式(蛸足)についてもいえることですが
革素材から脱却と木枠の排除と
かなり進歩した・・・と私は感じますw
ちなみにこの昭五式背嚢、何も収納していない状態では
意外と小型で思ったより重くないのです・・!
入手先についてはノーコメントという方向で・・・(汗
しかし当商品ですが定価での購入まず不可能ですね・・
かなり痛い勉強となりました。
九九式(蛸足)についてもいえることですが
革素材から脱却と木枠の排除と
かなり進歩した・・・と私は感じますw
ちなみにこの昭五式背嚢、何も収納していない状態では
意外と小型で思ったより重くないのです・・!
Posted by アンチョビことチビ
at 2012年02月27日 21:11

もしかして某オクで入札合戦が激しかったアレで勝ち取ったものでしょうか?
私のリュック型背嚢は昭五式背嚢の急な量産が間に合わず、生産効率を上げるために開発された(急造?)簡略版らしいですが、こうして細部を比較すると革紐の位置が共通していたりと興味深いです
それと何も入れてなくても重そうに見えますね
私のリュック型背嚢は昭五式背嚢の急な量産が間に合わず、生産効率を上げるために開発された(急造?)簡略版らしいですが、こうして細部を比較すると革紐の位置が共通していたりと興味深いです
それと何も入れてなくても重そうに見えますね
Posted by YAS at 2012年02月27日 20:57
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