2011年06月28日
日本陸軍 九五式?九九式?防毒嚢(被甲嚢)
(**訂正** 以前紹介した九九式防毒面と同型の可能性が!?)
少々状態は悪いですが・・・九五式防毒嚢です。
胴へ結ぶための紐は切断されています・・・・少々残念であります。
蓋を開けた状態。
何故か名札は正規の位置である右下から左上に移動されています。
これは恐らく名札が見え過ぎるのが嫌で防毒嚢の蓋を閉めたら名札が見えなくなる位置へわざと変えたと推測されます。
そうなると戦前もしくは戦後に民間で使用されたと思われます。
九五式の特徴のスナップボタン。塗装されています。
このようなシンプルなボタンです。
スナップボタン自体は米軍や仏軍装備のスナップボタンとそう変わらないと思います。
防毒嚢の内部。
防毒面の装具をいれるためのポケットが複数あります。
しかし九九式のように真ん中に仕切りが無い所をみると前の所有者が仕切りを除去した可能性がありますね。
そして防毒嚢の特徴である防毒嚢肩掛け左根元のボタンホール?のような穴と肩掛けの突起も勿論あります。
胴紐切除の後・・・
胴紐さえあれば・・・完璧だったのに・・・惜しい
最後に各種防毒面の画像。
右から九五式、九九式、戦後民間型。
よ~く見ればいずれも大きさと蓋と形状も全く違いますね。
ところで九九式防毒嚢の記事の最後に防毒嚢を自作する!と言ったのですが・・・・
何個か試作した所で中断していますw
というのも先月購入した九五式軍刀用に革覆いをミシンで作った所、
ミシンが見事轟沈大破しましたww(やはり家庭用ミシンで厚手の革を縫う物ではありませんね・・・)
以上、日本陸軍 九五式防毒嚢(被甲嚢)でした~
2011年06月25日
模造品 九八式軍刀 (*処分済み+)
九八式軍刀です。
よく通販サイトやオクでも見掛ける事の多い模造刀です。
前もって述べますが買って即売却致しました。
某ガンショップの店頭で安くで販売されていたので喰いついたのですが・・・・
まぁそんなことより続きの画像をば
模造刀もピンからキリなのですが、
尾型刀剣の模造軍刀が出る以前はお買い求めし易い模造刀の軍刀はこれぐらいしかなかったのではないでしょうか?
さて画像九八式ですが鞘には革覆いが付いております。
鞘自体は木製です。しかしこれは実物でもありますので無問題。
柄部分。
柄糸はきつく巻かれていて材質はともかく比較的握りやすいのですが、
兜金と鍔のメッキが派手過ぎて(ワザと過ぎて)少々気にりません。
また鍔のバリが酷く目立ちますw
それに安物模造刀には多い、目釘が異常に出っ張っていたり、また目釘のある鮫皮周辺は妙な隆起や最悪の場合割れ目などがあります。
(そもそもこの軍刀のは本物の鮫皮ではないのですが、それは実物にも言える事なので無問題)
また柄の鮫皮を挟む両端の経木が柄糸からはみ出てモロ見えで見栄えも出来ばえも良いとは言えませんね。
続いては鞘。
革覆いはスナップボタンで取り外すことが出来ます。
しかし革覆いを外すとこの始末。
塗装が施されていないただの木製の鞘が現れます。
佩鐶は装飾も無く簡素で適当なものです。
当初はこんなチープな鞘仕様の軍刀あるのかなと疑問に思っておりましたが
よくよく調べてみると実在するから驚きです。
とはいえ駐爪、刀身留めの類が全くありません。
これは市販されている模造刀身の軍刀に殆ど共通していると思います。
私はこの部分を結構重要視しているので、無いと正直気に入りません!w
どのような形であれ駐爪、刀身留めがないと軍刀では無い!と考えております。
最悪、安価で済む紐留めや人工革のバンド留めでも良いんです・・・
なぜメーカーがこの部分を無視するのかが疑問でなりません。
ちなみに画像の軍刀は自作で刀身留めを作っています。
とはいえ刀身固定を革覆いを外すためのスナップボタンも兼ねてしまうため、あまりこの方法はよくありませんねw
やはり鞘の革覆い反対側に新規にスナップボタンを作る必要があると思います。
兼定のような刀身の波紋を持っています。
しかし私的には波紋なんて無い方が良いのですが・・・
さて以上になりますが。
正直出来はさほど良くはありませんが、革覆いなどは野外での着装には便利ではないでしょうか?
しかし佩鐶は一応鉄製?なのですが吊るには少々強度的に心配ではないでしょうか。
とはいえ刀緒を付ければその見栄えが格段に良くなるでしょう。
問題の刀身留めも自作すれば済む話です!
また私は恐らくこれと同型の外装で明らかに居合練習刀身と思われる刀身を組み込んだ物を某ガンショップで
見掛けたことがあるのですが、製品版なのか持ち主が手を加えたものなのか・・・
アレは意外と良いものでした・・・
以上、模造品 九八式軍刀でした~
2011年06月20日
中田製 日本陸軍 兵用冬襦袢
今日は臨休で久しぶりに休みでした。
さてさてそんなことはさて置いて、久しぶりに中田製の商品をご紹介致します。
少々季節外れではありますが日本陸軍 兵用冬襦袢です。
まずは画像を
こちらが中田製の兵用冬襦袢です。
察しの通り、この襦袢は基本的に軍衣の下に着用するシャツです。
中田商店では薄グリーンと白の2種類がありますが、画像の物は薄グリーンの物です。
(中田では薄グリーンと記載されていますがカーキに近いかも?)
まぁいつも通り洗濯なりすれば色落ちするんでしょうが・・・w
ちなみに寅さんで有名な渥美 清氏出演の映画「拝啓 天皇陛下様」では
(個人的な題名と週刊現代に掲載されたというのが気に入りませんが・・・)
入営後の兵営生活(訓練)などのシーンでは白と薄グリーンと色の混在した襦袢姿の兵士たちが映っています。
支給される襦袢の色は統一されてなかったのか否かがとても気になりますね。
冬襦袢の前と後ろ。
この襦袢の特徴である1つボタン留めの立襟。(俗にヘンリーネックと呼ばれていますね)
この作りは夏襦袢も同じですね。
しかし立襟の四五式、改四五式、昭五式といった軍衣の下に
さらにこの立襟の襦袢を着用しては、さぞ首回りが窮屈だったことでしょう。
一見、服はロシアのギムナスチョルカのようにスモック式で前開きしないように見えますが、
ちゃんと普通のシャツ通りに開封します。
襦袢の内装。
広げた状態は一見カッターシャツと変わらないような形状をしてますね。
ちなみにこの中田製は検定印の類は打たれておりません。(実物はどうなのでしょうかね)
胸ポケットのアップ。
ポケットの蓋の形状は後の防暑襦袢と同じ長方形型です。
勿論夏襦袢も同様の形状です。
ポケット自体も貼り付け型となっています。
腕の袖部分。
袖にはボタンがありますが一個のみで調整が出来ません。
採用も古く、冬襦袢なので脇下に通気孔はありません。
この中田製襦袢のボタンは緑色で統一されています。
こちらも実物はどうなのか気になりますね。
この商品は冬襦袢なのですが、外見は全く夏襦袢と変わらないのですが、何処が違うのでしょうか?
それは恐らく此処と思います。
襦袢の内側がネル裏仕様になっており起毛しています。
また生地の厚さ自体も明らかに厚く、寒さを想定したものになっています。
この2点からやはり冬襦袢という季節を限定した襦袢に相応しいのかもしれません。
ですが暑ささえ我慢すれば夏襦袢の代用にも出来ると思いますよ。(相当暑いと思いますがw)
続いて夏襦袢に関連しての話ですが
このような立襟式の襦袢は太平洋戦争中の南方においては単体の上着として着用されることも多々ありました。
(以前紹介した祖父の従軍写真を見てもお分かりになると思います)
しかし襟のボタンを閉めた状態では窮屈の上、通気性が悪いのは当然ですので
上の画像のように立襟を折り曲げて着用していました。
折り曲げると普通の折襟式襦袢と変わらないように見えますが、前開きの作りや襟の形と長さなどで容易に見分けることが出来ます。
つまり南方装備としても十分着用できるのです。
勿論大陸でも同じことが言えます。
実際の着用例。
襟が明らかに短いのがお分かりになると思います。
襟を折り曲げて着用するとこのような感じになります。
(この画像では私は冬用襦袢を着用していますが、殆ど差異が無いと思います。)
さて・・・夏用襦袢。なんとしても手に入れなければ・・・・!
以上、中田製 日本陸軍 兵用冬襦袢でした~
2011年06月18日
日本軍 実物 三十年式銃剣用鞘 複製品と比較
実物三十年式銃剣鞘のご紹介をしたいと思います。
まずは画像をば
こちらが実物の三〇年式銃剣用鞘です。
実物銃剣鞘の両側。
薄い錆が少々広がっていますが、重度ではありません。
もはや実物銃剣鞘の運命と化している鞘の凹み。
この凹みは両側にあり、この凹みのせいで野外での使用において破損(折れる)してしまう原因となっております。
切断刀身を収納するためや、そのための区別のためにわざと凹まされているとも言われていますね。
鞘止めのネジ部。ここはマイナスネジです。
さて今度は以前紹介した複製品の三十年式銃剣鞘と比較してみたいと思います。
上が複製品の銃剣鞘。
下が実物銃剣鞘。
全長は殆ど両者変わりません。しかし鞘の厚さは複製品の方が厚いです。
銃剣鞘にも年代や工廠によって仕様がことなってきますので一概にどちらが正しい!とは言えませんね。
鞘止めの比較。
上の画像は上が複製品。下が実物。
下の画像は左が複製品。右が実物です。
鞘止めの位置が微妙に違いますし、形状も若干違うようです。
鞘の口部分のアップ。
左が複製品。右が実物。
何度も撮り直したので中々うまく撮れませんでした・・・w
左の複製品の鞘の口が実物と比べて大きいのが分かりますね。
また鞘止めの銃剣差しのベルトを通す金具の大きさも複製品の方は若干大きいようです。
ちなみに両者ともちゃんと刀身止めの板バネが内部にあります。
鐺(こじり)の形状。
上が複製品。下が実物です。
銃剣鞘先端の鐺(こじり)の形状もここまで違います。
小さい部分ではありますが、ここも年代や工廠によって違ってくるのでしょうか。
さて実物と複製品の比較は簡単ではありますが、ここまでになります。
ちなみに今回紹介する実物製銃剣鞘にも手持ちの銃剣が挿入できました。
手持ちの銃剣鞘。
さて最後にまとめですが、銃剣鞘は以前にも記載致しました通り、
長いので折れやすく破損し易いです。
今回は比較として実物をご紹介致しましたが
ゲームなどで伏せたりと激しい運動などされるのでしたら
やはり凹みのある実物銃剣鞘の着用はお勧めできませんね・・・
妥協して複製品を併用するのも、重要な決断なのかもしれません・・・・
以上、日本軍 実物 三十年式銃剣用鞘でした~
2011年06月15日
日本軍 実物毛布 昭和19年製
日本軍 実物毛布 です。
まぁただの毛布と思われるかもしれませんが、実際に手に取ってみないと分からない事が多々ありますよ!
まずは旧軍の証明である検定印。
昭和19年製です。
この検定印の上には☆マークが生地に印刷されているのですが・・・
経年のせいで薄っすら(もはや見えないレベル)にしか確認できません。
大体はこんな感じでプリントされていますw
検定印付近はこのような感じです。
広げた状態。やはり軍用毛布だけあってデカイです。(当たり前w)
そして重いです。
サイズですが大体横が160㎝あるかないかで縦が180㎝ぐらいでしょうか?
ちなみに材質ですが、触った感触はとても硬く(経年のせいか?)まるでカーペットのようです。
一般的な羅紗製(ウール)かと思いましたが、そうでは無いようです。
以前のイベントで旧軍装備の方が複数人、旧式背嚢に毛布を背負っているのを拝見致しましたが
その毛布は羅紗製のようにみえました。(実物否かは確認出来ませんでしたがw)
また色もこの毛布とはかなり違いました。
ですので毛布も年代などによって仕様も異なると考えるべきなのでしょうか?
そもそも今回ご紹介する毛布は○○空隊?と名前が書かれていましたので
兵用毛布とは少し違う可能性もあります。
末端の作り。
意外と丁寧です。
末端の作り②。
横は末端の作りが異なりますね。
さて今回は以上になりますw
一応、この毛布は背嚢に装着する兵用毛布の参考に購入したのですが・・・・
材質と色といい・・・同じものを探すのは困難でしょうw(使用に耐えれるものなのも前提です)
毛布についてもまだまだ調べる必要がありますね・・・
色は違えど材質が同じの市販品があれば染めて代用として使えるかもしれません。
やはり背嚢には毛布を巻かなくては・・・・!(外套でもいいけど・・・)
以上日本軍 実物毛布 昭和19年製でした~
2011年06月12日
メーカー不詳 複製? 日本陸軍 兵下士官用略帽

日本陸軍 兵下士官用略帽です。勿論羅紗地です。
こちらは日本軍の先輩より買い取った物なのですが、色々と詳細不明の部分が多いのです。
ともあれ次の画像を

略帽の正面。先輩が結構使い古したので結構痛みがあります。
革製顎紐は茶革で調節金具は無い仕様です。
また羅紗地の状態からして実物生地と推測されます。
生地の色は緑の強い国防色ではなく、茶の強い色となっております。
特徴である☆の帽章は少々小さく、なおかつ位置が上すぎのようです。
ここさえ改善されていれば至極満足なのですが・・・

略帽の後面。
後ろの調整紐は丸紐で緑色です。

略帽の側面。
通気孔は片側3つです。
私はこの真横の角度も大好きですw

ミシン縫いではなく手縫いと推測される通気孔。
この通気孔タイプは実物では初期のものだと記憶しておりますが・・・(よく覚えていません!w)
どちらにせよ、今ではこのような複製品は無いと思います。とても珍しいのではないでしょうか。

略帽の裏側。内装。
縁は革張りです。
他の内装は粗い白い綿?です。
しかしながら検定印の類は存在しません。

略帽の唾の裏側。
ちゃんとこのように何箇所にも渡って縫い付けられています。

顎紐尾錠。
また顎紐の革は経年で使い古したせいか、薄くなっております。

まぁこのような感じです。
何処のメーカーさえ不明な略帽です。
詳細ご存知の方おりましたらどうかご教授下さい!
以上、メーカー不詳 複製? 日本陸軍 兵下士官用略帽
2011年06月10日
6月5日 サバゲレポ
と申しましてもゲーム中の画像は皆無でありますがw
今回はチームレストランズ様のお誘いを受け、お邪魔してきました!
心配した天気は梅雨の中休みということで崩れることもなく良い陽気となりました。
当日の私。
七分袖の防暑襦袢という南方装備で臨みました。
銃はタナカ製ガスガン三八式歩兵銃と自作電動M1ガランド(M14改造)を持参致しました。
銃の調整に余念のない参加者さま。
奥のギリースーツの方は音楽を聴きながらスナイピングをされるという新世代スナイパー!
ううむぅ・・・!
次に奥の方はショットガンにサイドアームの拳銃と長いフルサイズのM16A4の3つを1度に使いこなされるという豪快な方!
こんな暑さにも関わらず凄いです・・・・

鉄帽用偽装網を締め付け過ぎたせいで略帽がまともに被れない私の図
先日紹介した身体用偽装網を着用してゲームに臨みました。
しかしあまりに濃いブッシュと長い三八式のせいで邪魔なことこの上なかったの秘密です!(キリ

試射も兼ねてコンバットトレーニング?風景。
左の方は私服ゲーマーのような格好ですが、本当はこの御仁は本格派装備をされる方ですw
今回は急遽参加されたのでこんな服装なだけです!

右の米軍海兵隊装備の方はうちのチームのリーダーです(棒読み)
続いてはゲーム中に撮った数少ない画像ですw
今回は初参加のフィールドで、しかも暑く、嵩張る装備のせいでカメラマンをする余裕がありませんでしたw
フィールドはとても広く、中々全体像が把握できませんでした!
必勝ハチマキがキマッてますね!w
この他にもツインテールの金髪カツラをされていた方もいましたよ!!w
ゲーム中にも関わらず作戦を敵前で練るうちのチーム!
攻撃側と防御側に分かれてのゲームでしたので、結構余裕がありました。
フィールドが広いので進行ルートも多いのです。
ちなみに・・・・
ゲーム中の写真はこれだけ!!!w残念!!!w
最後におまけ画像。

鬼畜米英に鉄鎚を下すべく地雷を敷設することに余念のない日本兵。
(実はただの柱か何かの足ですw)
たくさんの地雷を抱えて鬼畜米英が来るのを心より待ちわびて待ち伏せする日本兵。

血も涙も無く、鬼畜米英が無差別に敷設した地雷を解除する愛の戦士平和の使者日本兵。

地雷を前に悪魔の笑顔を浮かべる現用海兵。もはや人の心はない。
ただのうちのリーダーです!w
さて今回のレポートは以上であります!
ちなみに
お誘い頂いた主催者であるレストランズさまから「マダニ、ヤマヒルには十分注意して下さい!」と
散々ご注意をして頂いたのですが・・・
既にうちのチームメンバー2名がマダニの毒牙にかかり病院へ・・・・・
恐ろしいやマダニ・・・・侮ってはいけない・・・・!
また私はこの季節特有のアレルギーのせいか腕に蕁麻疹のような湿疹が出来ました!w
本当に恐ろしい・・・・w
以上6月5日 サバゲレポでした~
2011年06月08日
日本軍 複製 身体用偽装網
今回はこれです。
日本軍 身体用偽装網 です。
縦約140㎝ぐらいでしょうか。伸ばせばさらに長くなります。
横もほぼ同じぐらいか、少しだけ短い程度かと思います。
ということはほぼ正方形の形状でしょうかね。
ちなみにただの網じゃないか!と侮ることなかれ!!
南方用装備には極めて重要なアイテムと私個人は思います。(あくまで私個人w)
以前は園芸用防虫ネット?の網を代用にしていましたが硬く、色も微妙でなおかつ形が崩れることが無いので
あまり良いものではありませんでした。
私がしょっちゅうお世話になっているのオクの精巧日本軍装備の方に頼んで購入させて貰いました!
その方は曰く少々色が薄いとのこと(色あせした実物を参考にしたためだそうです)
しかし・・・・そんなの全く気になりません!!
何故なら使い古して色あせした・・・という設定にすれば問題ないのです!!
それに心配するほど色も薄すぎるということはありません。
十分実用に耐えれる逸品です。
さて続いて偽装網の着用方法です。
まず最初に注意ですが、本来は偽装網に草木を巻きつけるのがベストのようです。
確かに網だけではジャングルなどでの偽装効果はたかが知れていますしね。
画像では偽装網に何も装着していませんがあしからず!w
何度か偽装網を羽織っている旧軍の写真を見て考察してみたのですが、
両肩から羽織って胸当たりで結ぶ簡単シンプルな方法。
ただ胸で結んで固定するだけなのですが、意外と多い着用方法では・・・?と思います。
ですが偽装網が垂れている状態なので移動や匍匐、潜伏の場合は難渋しそうです。
続いてはご教授頂いた方法です。
両肩から羽織って正面でX字型に結ぶ方法。
ご教授頂いた着用方でまだ完全に詳細を理解出来ておりませんが・・・
偽装網を羽織って胸のところで網を結び。垂れている下の偽装網を右下の端を左上、左下の端を右上に結ぶ方法です。
正面からみるとXの形になります。
これですと偽装網は垂れることなく固定されますので、草木を巻き付けてもさほど嵩張ることはないでしょう。
実際、時期は知りませんが比島作戦において、この着用方を駆使して米軍を騙したそうです。
実績があるということは・・・素晴らしい!!!
さて最後に総論ですが、
サバゲに偽装網はうってつけではないでしょうか?
勿論、草などを巻きつけないと意味がありませんが(これがかなり面倒ですがw)
言うなればギリースーツとさほど変わらないと思いますよ?
しかし欠点もあります。
やはり枝などに引っ掛かりやすく移動がしにくいという点。まぁこれが皆さん想像できますねw
次に先ほど述べた通り草木を巻きつけないといけないという点。
(つまりその分、匂うし触れるしアレルギー体質の人には厳しいかも?)
ですが、私は鉄帽覆いを付けた鉄帽を被り、帽垂を付けて、防暑襦袢に、草木を巻き付けた偽装網を羽織る姿こそ
南方の日本兵のカコイイ姿だと感じます。
羽織ってよし!背嚢に縛ってもよし!!
カーキで目立つ日本兵を覆い隠すアイテムです!!
以上、日本軍 複製 身体用偽装網でした~
2011年06月06日
祖父の従軍写真(終) 歩兵第79・第37連隊
以前にもしつこいぐらい記載しました通り、半世紀以上のものとはいえ、当方の祖父個人の写真、
又、所属連隊の戦友の個人写真なども含むため基本的に無断転載はご遠慮ください。
(てめぇが言えたクチかYO!!ネットに載せてる時点でアウトだろw!!)とかそういうお考えの方はマジ勘弁でオナシャス。
以上ご理解の上、ご覧頂ければと思います。
今回は太平洋戦争(大東亜戦争)に従軍した際の写真をご紹介致します。
昭和15年1月17日には整備師団への帰還が命じられ、同年1月23日には大阪へ帰還し
歩兵第79連隊から歩兵第37連隊に転属した後に召集解除となりました。
太平洋戦争が勃発すると同師団は動員下令が下り、祖父は召集を受けます。
召集時期など記載されている日記などは見当たらないので時期は不明ではありますが、
同連隊は東南アジアへ派遣され、 スマトラ、インドシナやタイで警備任務に終戦まで当たっていました。
またその従軍中、どうやら祖父は病気(マラリアか?)を患ったようで入院することになります。
写真後半で病院や患者衣姿が多いのはそのためのようです。
戦闘や戦闘や行軍の写真は殆どありませんが、当時の東南アジアの様子、建造物、人々など風俗など映しています。
ということで写真をご紹介致します。
恐らく広報用ハガキ?などの写真かと思われます。
キャプションの文字も写真も宣伝広報のため大量発行されているもののようです。
なので祖父の連隊の従軍写真というわけではないようです。
恐らくビルマ若しくはマレー戦線の写真でしょう。残骸は英軍のハリケーン戦闘機かと思われます。
鹵獲兵器の山の写真(スソム・ソバー)。
地名を調べましたが具体的に何処なのか不明です・・・
英軍の遺棄した車両や砲の写真のようですね。
行軍中の写真。ゲヨホール・バール近し。
こちらも広報用のハガキの写真かと思われます。
ゲヨホール・バールという地名は知りませんが、現マレーシアのジョホールバルの事でしょうか?
架橋された橋を渡る兵士たち。
こちらは上記の広報ハガキのような物よりもしっかりした写真です。
連隊の写真でしょうか。
豪華な建造物の写真。
タイもしくはカンボアジアなどの官公庁でしょうか?
今でも現存していそうな気がします。何処なのでしょうか?
ODEONのある通り。
このODEON(オデオン)とは英国資本の映画館のことでしょうか。
日本軍の進駐もしくは占領で接収されず通常通り営業できたのでしょうかね・・・?w
少し気になります。
タイの大型寺院と思われる場所での記念撮影。
写真自体かなり超小型なので上手く撮れませんでしたがちゃんと祖父がいると思われます。
やはり皆さん襦袢姿ですね。

現地の現地人。
小さな屋台?のようですね。
左はパンもしくは果物。右はジュース?飲み物を売っているようです。

8人で記念撮影。
先頭は将校と思いきや全員下士官ような気もします。
どうやら所属中隊の仲の良い下士官が集まって撮影したのでしょうか。
ちなみに祖父は後列の一番右端です。
第37連隊転属後、再召集を受けた頃には下士官(伍長もしくは軍曹)になっていたはずです。
○○文官。
日本軍占領下の現地の行政を担った文官の方のようです。
文官とはいえ帯刀を許されています。
軍人ではないはずですが着用しているのは陸軍九八式若しくは防暑衣のように見受けれます。
馬来の果賓の写真。
馬来とはマレーのことのようです。
マレーの住人から頂いたものなのでしょうか?それにしても色んな種類の果物がありますね。
官公庁の広場での撮影か。
ここも何処なんでしょうかね・・・

現地人(土人?)を撮った写真。
右の女性は胸があらわです・・・w
日本兵の皆さんはさぞ驚いたことでしょう・・・!

現地人の集落で撮った現地人の集合写真。
皆さん殆ど裸ですね。まさに土人といったところでしょう・・・
まさに別世界ですね・・・
しかしどういう経緯で撮影したのかw
ちなみに土人という言葉は決して蔑称用語ではありませんよ?
支那人という呼称についても同様です。インドシナ、南シナ海って呼んでるぐらいですからね。

現地人の写真①。

現地人の写真②左の写真は狩猟の際の写真か?
右の女性はかなり美人なのですが・・・・だから写真に撮ったんでしょうねw
祖父もやはり相当スケベだったのかと思ってしまいますw

現地女性?の写真。
何故かこの1枚は現地人を撮った写真としては珍しく、普通のサイズの写真として保管されていました。
見たところ、どうやら写真館のようなところでの撮影のようです。背景が作り物の絵画のようですね。
この方は女性なのでしょうか?若い少年にも見えますし、かなり中性的な方ですね。
もしかすると祖父が好きだった現地の方だったのかもしれませんね。(かな~り推測ですがw)

タイ国軍騎兵と思わる写真。
馬上の舟形略帽を着用しているのはやはりタイ国軍兵士だろうと推測されます。
日本軍が進駐したとはいえタイ国は同盟国ですので、このような現地兵士と鉢合わせの場面も珍しくないでしょう。

現地タイ兵と思しき将校(もしくは下士官)の写真。
タイ国兵士と思いましたが、帽子がマレーのイスラム教徒が被る独特のソンコという帽子にも見えます。
足元はゲートル(巻脚絆)装備で変わったサーベルを携行しています。
腕時計もしていますので下士官もしくは将校と推定します。

笑う2人の兵士の撮影。

現地の子供との撮影。
以前紹介した日中戦争の写真でもでも子供との写真がありましたね。
まず兵士と交流するのは無邪気な子供たちなのかもしれませんね。

祖父の上官たちと子供の記念撮影。
後ろ右が祖父です。いかにも南方な背景と服装です。
正面に堂々と座る上官とその横で片手でタバコを持っている方この2人はいかにも古参という風格ですね!
しかしそんな方達も子供が大好きのようですね!!
ココナッツと子供と兵士たちの写真。
私の撮り方が悪かったせいで右端の子供が反射してエライことになってますw
前列真ん中の方は将校か下士官なのでしょうか?
この南方での祖父の従軍写真では帯刀された下士官(もしくは将校)の
皆さんの殆どは巻脚絆(ゲートル)を着用されているのです。
革脚絆や革長靴は殆ど見受けれません。
やはり湿気の多い南方では不向きなのか、それとも後方での警備任務程度では要らないのか・・・
もしくはただ単に物資不足なのか・・・・w部隊によるのもかしれませんね。
プノンペン駅広場での兵士たち。
あのカンボジアのプノンペンのようですね。後ろの建造物が駅でしょうか?
しかし・・・よくぞここまで遠くに日本軍は来たものですね・・・w
タンクトップの方もいます。駅前広場で宿営でもしてるのでしょうか?
しかし・・・・まるで旅行写真みたいな写真ばかりのような気もします。(実際は立派な任務なのですが)
皆さん楽しんでいる・・・・といった印象にも思えます。
やはり安全な占領地域であり、戦闘第一線とは天と地と程の差がありますね。
そういう点では同連隊は恵まれていた・・・と考えてしまいます・・・
一方でビルマや南洋諸島の戦場は生き地獄なのですから・・・
アンコールワット?と思しき建造物の写真。
こちらも広報ハガキの写真のようです。

祖父と戦友の写真。
上着や袴、ベルトまでお互い違います。
左の戦友の方は防暑襦袢でなく夏襦袢を着ております。
やたら豪勢な室内での写真。
欧米資本のホテルでの撮影でしょうか?
何処での撮影か気になります。

病院へ入院した際の写真。
兵站病院でしょうか?どれか祖父か区別できません・・・w
患者衣は着物(和服)の作りの物ようですね。
ちなみに祖父はマラリアで入院した可能性が高いかもしれません。
後ろ左端の犬をおぶった眼鏡の方がなんとも言えませんね・・・・!

屋根の上で看護婦さんと一緒に撮影。
病人が看護婦と一緒に屋根に上って記念撮影とは・・・・w
やんちゃというか粋というか・・・・w楽しそうでもありますねw
病院での入院生活は部隊の堅苦しい生活もなく、色んな出会いもあり
気楽そうな気もします。そうでもないかな?w

外套?上衣を着る患者。
暑い南方のはずなので暑そうな外套?上衣?を羽織るということは彼らはマラリア患者なのでしょうか。

従軍写真の最後のページの写真。
最後のページに載せられていた写真なのですが
こちらは祖父なのかどなたなのか判別できません。
もし祖父なのなら病院を無事退院後、曹長へ階級が上がったということでしょうか。
ということは写真の軍刀は九五式下士官刀ということでしょうか。
写真自体が超小型なため拡大してよく確認が出来ません。
さて、祖父の従軍写真の紹介は以上になります。
祖父は戦後、連隊の所属中隊?の戦友会にも積極的に参加されてたみたいです。
祖母を連れて護国神社などを参拝している写真なども見掛けました。
祖父が従軍した過去の体験を戦後どのように感じ、結論付けたのかはもう聞くことはもう出来ませんが
戦後は厳格な父として家庭を担ったのは確かであります。
以上、祖父の従軍写真でした~
2011年06月03日
海外製 複製 三十年式弾薬盒(中田製と比較) 日本軍
さて今回も中田製との比較記事をご紹介致します。
以前、中田製の三十年式、九九式の弾薬盒をご紹介致しましたが
今回は非中田製の複製弾薬盒で比較してみたいと思います。
まずは画像をば
画像の通り、弾薬盒、後盒、帯革(ベルト)、銃剣差しのセットです。
ちなみに海外製です。
既にヤフオクを通して日本国内でも入って来てるのと同型かな・・・?
まぁ弾薬盒も海外では複数の業者が販売しているためどれかとは知りませんがw
赤みがあるのが特徴ですね。
こちらは弾薬盒の前盒のアップです。
この複製品の特徴は何より色と革質かと思います。
まず色は弾薬盒、剣差し、革帯と総じて赤が強いということです。
この色に評価が分かれるかもしれませんが、使い込むとどのような色になるか楽しみではありますね。
そして革質ですが、意外と良い感じ(私の意見w)で革の厚さも分厚いです。
しかしやはり海外製です。革表面に一部割れや傷は当たり前・・・といった感じですかね。
(まぁ革製品なので仕方ないのかもしれませんが)
色んな角度からみると、このような感じになります。
赤い革に太くハッキリとした縫い糸が何とも美しく見えます。
外見は個人的には好きかも・・・w
さて次は中田製との比較を・・・・

こちらは以前紹介した中田製の三十年式と九九式?弾薬盒。
(いちいち押し入れから出すのが面倒なので以前の画像でw)
中田製のは三十年式が大きいのが特徴ですね。
右が今回ご紹介する複製品。左が中田製九九式。
実は大して大きさは変わらないのである!!!!
これは後ほど知った話なのですが・・・・
いつもお世話になっている御仁からご教授頂いたのですが・・・
中田製の三十年式弾薬盒が実物と比べ大型なのは事実のようです。
しかもそれは発売当初から・・・・!
また九九式弾薬盒という名称も正しくなく、このタイプの弾薬盒は九九式(1939年)以前より使用されていたそうです。
これが真実だったようです・・・・
特徴的にデカイ三十年式弾薬盒・・・それは中田オリジナルだった・・・・
しかしどうしよう・・・この中田製三十年式・・・
それに縫い目の数も両者とも違いますね・・・・
複製品(非中田製)は1つ多いようですね。
果たしてこの縫い目の数の違いもどちらが正しいのか気になります。
まぁ年代によって三十年式の細部も異なって来そうではありますが・・・
非中田製三十年式と中田製九九式の比較。
やはり時代の差ですね。
大きくサイズや形状が異なる部分もあるのは確かのようです。
この辺は製作採用された年月の差を感じますね。
今度は後盒の比較。
左が複製品(非中田)。右が中田製(三十年式&九九式と同型)
よく見れば両者作りが異なります。
蓋止めの位置にも注目です。
後盒の後ろ。
なんと海外製複製品はベルトループが縫い付けではなくリベット止めです。
このは普通に縫い付けの方が良かったのですが・・・
やはり実物もリベット止めの物は存在したのでしょうか・・・?
私の記憶が正しければあったように記憶しておりますが・・・・
まぁどちらにせよ装備すれば隠れる部分なので無問題なのですが・・・少し気になります(結構)
やはり後盒にも複数タイプがあったと考えるべきでしょうか。
こころなしか海外製の方が細長いですね・・・
縦幅は中田製が長く、横幅は海外製が長いようです。
まぁさほど気にならない部分かと・・・
海外製の銃剣差し。一部リベットが打たれた丸穴のタイプですね。
さて今回もやります兵用革帯(ベルト)の比較。
こちらは海外製複製品。ちゃんと縫い付けの物です。
さて上が中田製。
真ん中が今回紹介する赤みの強い海外製。
そして下が以前紹介したe-bay最安値疑惑の革帯です。
それぞれ全く違いますね。
特に今回ご紹介する海外製の物は(真ん中)は両端に溝がありません。
続いてベルトの幅の比較。
一番奥が今回紹介する海外製。
真ん中が中田製。
一番手前が安物。
どうやら今回紹介する海外製が一番幅広のようです。
さてまとめですが・・・
今回紹介する海外製はやたら革が分厚く、赤みがあるのが特徴です。
ですが決して革が分厚すぎるのが良いとは限りません。
その分重量を掛けると革が割れ易く、折れやすくなります。
色自体は好きな方なのですが・・・・
ですが妙にデカい中田製三十年式の代替としてはマシかと思います。
最後に・・・
付属していた油缶。蓋ネジに挟んでいるゴムのせいで全高が上がり、後盒に装着できませんw
オイルで柔らかくしても中々に装着できません。
中田製油缶は難なく収納できました。
そしてこちらも勿論中田製と同じく錆びてます!!!!w
以上、複製 三十年式弾薬盒(中田製と比較)でした~