2011年01月17日
第二次大戦下 武装組織チェトニク画像
第二次大戦下、ユーゴスラビアは枢軸国に占領されユーゴスラビア王国は崩壊します。
そしてドイツ、イタリア、ハンガリーなど枢軸国に領土は分割され、
いくつかの傀儡国家が成立します。
それがクロアチアとセルビアとモンテネグロの3つの国です。
そこで占領軍と傀儡政権に対し、かの有名なチトー率いるパルチザンは抵抗活動を繰り広げます。
チトーは民族の壁を超え、理想的な国家建設を提唱し、占領軍と傀儡を駆逐すること約束します。
しかしそれとは別に旧王国派でセルビア人が主体の武装組織も抵抗運動を開始します。
それがチェトニクです。

独特の装備と濃い髭でキメるチェトニク兵士。
チェトニクは旧王国の将官であったドラジャ・ミハイロヴィッチが指導者として結成しました。
ユーゴスラビアには当時いくつもの抵抗組織がありましたが、
チトーのパルチザンと双璧をなす大きな組織はチェトニクでした。
チトーはチェトニクに対し、占領軍への戦いへの共闘を唱えますが
チェトニクはこれを拒否します。
それどころかパルチザンに攻撃の矛先を向けます。
そもそもチェトニクはセルビア民族主義者と反共主義者で構成されており、
共産主義のパルチザンとは相容れないものがありました。
イタリア製の軍服?にMP40で武装するチェトニク兵士。
さらにチェトニクはドイツ軍といった占領軍にはまともに抵抗活動をせず、
しかも傀儡であるセルビア国と協力関係にさえありました。
これは占領軍によるセルビア人への報復を恐れたという見方もあります。
何がしたいのか分からないですね・・・ですが彼らには他にも敵がいました。
それはもうひとつの傀儡国家であるクロアチアです。
クロアチアは当時、クロアチア民族主義政党のウスタシャの指導者パバリッチが
総統として就任し統治していました。
チェトニクはパルチザンだけでなくクロアチアとも戦闘を繰り広げていました。
パバリッチ率いるクロアチアはナチスに協力する形でユダヤ人、ジプシーだけでなく
セルビア人をも劣等人種と位置付け強制収容所へ収監し、何十万人ものセルビア人を虐殺したと言われています。
こんなことをされたらセルビア人が怒らないはずがないですね。
対してチェトニクもやり返さんとばかりにクロアチア人を迫害、何十万人も虐殺しています。
まさに報復の嵐ですね・・・・
チェトニクによって鹵獲されたトラックとドイツ軍捕虜
一方のチトーのパルチザンはチェトニクやドイツ軍などと凄惨な戦いを続けながらも
勢力を次第に拡大していきます。
さらにそれに拍車をかけたのが1943年のイタリア降伏です。
パルチザンは降伏したイタリア軍の武器など豊富な物資を回収、手に入れることに成功し、
火力は元より軍の再編成など軍内部の改革も着手します。
それに対し、チェトニクは連合国の援助物資など支援などがありながらも
戦闘では敗北を繰り返します。
これはチェトニクが旧態の戦術に拘り、山岳戦などにおいて
重要な遊撃戦術をとらなかったせいだといわれています。

女性か男性か区別がつかないチェトニク兵士。頭には伝統的なチェトニク帽を被っている。
チェトニクは次第に士気も衰え、またチェトニク内部には腐敗も蔓延り、
さらに連合国による支援の停止なども重なり、チェトニクは崩壊します。
逆にパルチザンはユーゴでは最大の武装組織に成長しており、
連合国は彼らを積極的に支援することに転換します。

トンプソンM1921で武装するチェトニク兵士。これも連合国の支援物資の1つだったかと思われる。
チェトニクは崩壊し、ソ連のユーゴ進入を許す形でチトーはソ連と条約を結び、
外堀を埋める形でチトーのパルチザンは
戦後のユーゴスラビアの主導権と統治権を完全に掌握することになります。
ユーゴにおける覇権はパルチザンのものとなります。
チェトニクの指導者ドラジャ・ミハイロヴィッチはその後、 逃亡するも逮捕され処刑されます。
チェトニクは滅びましたが数十年後のユーゴ内戦では一部のセルビア民族主義者によって
再評価され自らチェトニクと呼称する集団がいくつも登場します。
内戦中、チェトニク帽を被りチェトニクの旗を掲げ、戦闘に臨んでいったセルビア人も多いのです。
内戦が終了した現在もセルビア人の中にはチェトニクを民族の英雄、神格化する向きがあります。
ですのでもしセルビアに行かれることがありましたら安易にチェトニクを貶すと痛い目に合うかもしれません!
気を付けましょう!!そんなことする人さすがにいないと思いますがw
とはいえ血で血を争う歴史であったということは肝に銘じておきまSHOW!!
そしてドイツ、イタリア、ハンガリーなど枢軸国に領土は分割され、
いくつかの傀儡国家が成立します。
それがクロアチアとセルビアとモンテネグロの3つの国です。
そこで占領軍と傀儡政権に対し、かの有名なチトー率いるパルチザンは抵抗活動を繰り広げます。
チトーは民族の壁を超え、理想的な国家建設を提唱し、占領軍と傀儡を駆逐すること約束します。
しかしそれとは別に旧王国派でセルビア人が主体の武装組織も抵抗運動を開始します。
それがチェトニクです。

独特の装備と濃い髭でキメるチェトニク兵士。
チェトニクは旧王国の将官であったドラジャ・ミハイロヴィッチが指導者として結成しました。
ユーゴスラビアには当時いくつもの抵抗組織がありましたが、
チトーのパルチザンと双璧をなす大きな組織はチェトニクでした。
チトーはチェトニクに対し、占領軍への戦いへの共闘を唱えますが
チェトニクはこれを拒否します。
それどころかパルチザンに攻撃の矛先を向けます。
そもそもチェトニクはセルビア民族主義者と反共主義者で構成されており、
共産主義のパルチザンとは相容れないものがありました。

イタリア製の軍服?にMP40で武装するチェトニク兵士。
さらにチェトニクはドイツ軍といった占領軍にはまともに抵抗活動をせず、
しかも傀儡であるセルビア国と協力関係にさえありました。
これは占領軍によるセルビア人への報復を恐れたという見方もあります。
何がしたいのか分からないですね・・・ですが彼らには他にも敵がいました。
それはもうひとつの傀儡国家であるクロアチアです。
クロアチアは当時、クロアチア民族主義政党のウスタシャの指導者パバリッチが
総統として就任し統治していました。
チェトニクはパルチザンだけでなくクロアチアとも戦闘を繰り広げていました。
パバリッチ率いるクロアチアはナチスに協力する形でユダヤ人、ジプシーだけでなく
セルビア人をも劣等人種と位置付け強制収容所へ収監し、何十万人ものセルビア人を虐殺したと言われています。
こんなことをされたらセルビア人が怒らないはずがないですね。
対してチェトニクもやり返さんとばかりにクロアチア人を迫害、何十万人も虐殺しています。
まさに報復の嵐ですね・・・・

チェトニクによって鹵獲されたトラックとドイツ軍捕虜
一方のチトーのパルチザンはチェトニクやドイツ軍などと凄惨な戦いを続けながらも
勢力を次第に拡大していきます。
さらにそれに拍車をかけたのが1943年のイタリア降伏です。
パルチザンは降伏したイタリア軍の武器など豊富な物資を回収、手に入れることに成功し、
火力は元より軍の再編成など軍内部の改革も着手します。
それに対し、チェトニクは連合国の援助物資など支援などがありながらも
戦闘では敗北を繰り返します。
これはチェトニクが旧態の戦術に拘り、山岳戦などにおいて
重要な遊撃戦術をとらなかったせいだといわれています。

女性か男性か区別がつかないチェトニク兵士。頭には伝統的なチェトニク帽を被っている。
チェトニクは次第に士気も衰え、またチェトニク内部には腐敗も蔓延り、
さらに連合国による支援の停止なども重なり、チェトニクは崩壊します。
逆にパルチザンはユーゴでは最大の武装組織に成長しており、
連合国は彼らを積極的に支援することに転換します。

トンプソンM1921で武装するチェトニク兵士。これも連合国の支援物資の1つだったかと思われる。
チェトニクは崩壊し、ソ連のユーゴ進入を許す形でチトーはソ連と条約を結び、
外堀を埋める形でチトーのパルチザンは
戦後のユーゴスラビアの主導権と統治権を完全に掌握することになります。
ユーゴにおける覇権はパルチザンのものとなります。
チェトニクの指導者ドラジャ・ミハイロヴィッチはその後、 逃亡するも逮捕され処刑されます。
チェトニクは滅びましたが数十年後のユーゴ内戦では一部のセルビア民族主義者によって
再評価され自らチェトニクと呼称する集団がいくつも登場します。
内戦中、チェトニク帽を被りチェトニクの旗を掲げ、戦闘に臨んでいったセルビア人も多いのです。
内戦が終了した現在もセルビア人の中にはチェトニクを民族の英雄、神格化する向きがあります。
ですのでもしセルビアに行かれることがありましたら安易にチェトニクを貶すと痛い目に合うかもしれません!
気を付けましょう!!そんなことする人さすがにいないと思いますがw
とはいえ血で血を争う歴史であったということは肝に銘じておきまSHOW!!


2011年01月17日
旧日本陸軍 九十式鉄帽(鉄兜)&偽装網
旧日本軍の代表的なヘルメットといったら九十式鉄帽(九十式鉄兜)が有名ですね。
シンプルな外見と作り。
ドイツ軍のヘルメットも特徴的ですが日本軍のヘルメットも人目で分かるぐらい特徴的ですね!

こちらは中田商店製の実物の九十式鉄帽です。
正面には堂々と星印が付けらています。これが陸軍の印です。
ちなみにこの星印は取り外しが可能です。
右の画像は偽装網を装着しています。
素のままの鉄帽では淋しいし、やはり偽装網がある方が見栄えも良くなります!
それに実際に大戦中は鉄帽に偽装網など装着していた兵士の方が多いです。
一部ではこの中田の実物ヘルメット、出所が怪しいと言われてますが・・・
それに塗装がかなりやっつけ(適当)ですぐ剥がれてしまいます・・・
この鉄帽も塗装が剥がれ、その下は錆錆です・・・w
もしゲームで使うのが目的したら、購入されるのをレプリカの方をお勧めします。
しかし頭の大きな方にはレプリカが窮屈な場合がありますのでご注意を!
鉄帽の頂点の四方に4つの通気孔があります。
これが軍用鉄帽の印です。無い場合は民間の防空ヘルメットの可能性大なのでご注意を!
内部の内装はレプリカのライナーです。紐もレプリカです。
さてここからまた余計な話になりますが・・・・
九十式鉄帽の前はサクラヘルメットで有名な仏軍型に似たヘルメットを装備していました。(正式名称不詳)
他にも欧米各国のヘルメットを参考にして様々な試作などが試されました。
実際に鉄棒を装備した日本軍の写真が多く見られるようになったのはシベリア出兵頃になります。
九十式鉄帽は1930年に制式採用されましたが(この辺はWikiでも参照してね!)
この後継として九八式鉄帽が1938年に採用されたのはあまり知られていません。
従来の九十式より小銃弾に対する防弾性を高めた鉄帽であるとのことですが、
私は実物を拝見したことがありませんので九十式と区別が出来ません!!w
(重量も九十式と比べ相当あるようで工兵用とも言われていますが)
さてお次は実際の日本軍の写真を
服装からいって日中戦争期の大陸戦線と思われますが、
鉄帽に偽装網を装備している兵士がまばらであることが分かると思います。
手前の兵士たちは軍刀を装備していることから将校または下士官かと思われます。
画像の見える範囲で確認すると一部将校だけが偽装網を着用しているように思えます。
(後方の兵士たちが将校ではないと言い切れませんが・・・)
ということはやはり当初は偽装網を装着するのは部隊を指揮する立場である将校や下士官、
さらには重要な火力を有する機関銃手であると考えるのが当然かと思います。
とはいえ偽装網を装備する兵士は全てではないにしろ、次第に一般兵も装備していきます。
これはジャングルが主戦場であることの多い南方ではさらに偽装を施すことが何より重要になったからですね。
日本軍は十八番の斬り込みや夜襲といった突撃や狙撃、待ち伏せなど
敵に気付かれずに敵前まで移動や隠遁する機会が多くなったということだと思います。
というこで九十式鉄帽でした~!
シンプルな外見と作り。
ドイツ軍のヘルメットも特徴的ですが日本軍のヘルメットも人目で分かるぐらい特徴的ですね!
こちらは中田商店製の実物の九十式鉄帽です。
正面には堂々と星印が付けらています。これが陸軍の印です。
ちなみにこの星印は取り外しが可能です。
右の画像は偽装網を装着しています。
素のままの鉄帽では淋しいし、やはり偽装網がある方が見栄えも良くなります!
それに実際に大戦中は鉄帽に偽装網など装着していた兵士の方が多いです。
一部ではこの中田の実物ヘルメット、出所が怪しいと言われてますが・・・
それに塗装がかなりやっつけ(適当)ですぐ剥がれてしまいます・・・
この鉄帽も塗装が剥がれ、その下は錆錆です・・・w
もしゲームで使うのが目的したら、購入されるのをレプリカの方をお勧めします。
しかし頭の大きな方にはレプリカが窮屈な場合がありますのでご注意を!
鉄帽の頂点の四方に4つの通気孔があります。
これが軍用鉄帽の印です。無い場合は民間の防空ヘルメットの可能性大なのでご注意を!
内部の内装はレプリカのライナーです。紐もレプリカです。
さてここからまた余計な話になりますが・・・・
九十式鉄帽の前はサクラヘルメットで有名な仏軍型に似たヘルメットを装備していました。(正式名称不詳)
他にも欧米各国のヘルメットを参考にして様々な試作などが試されました。
実際に鉄棒を装備した日本軍の写真が多く見られるようになったのはシベリア出兵頃になります。
九十式鉄帽は1930年に制式採用されましたが(この辺はWikiでも参照してね!)
この後継として九八式鉄帽が1938年に採用されたのはあまり知られていません。
従来の九十式より小銃弾に対する防弾性を高めた鉄帽であるとのことですが、
私は実物を拝見したことがありませんので九十式と区別が出来ません!!w
(重量も九十式と比べ相当あるようで工兵用とも言われていますが)
さてお次は実際の日本軍の写真を

服装からいって日中戦争期の大陸戦線と思われますが、
鉄帽に偽装網を装備している兵士がまばらであることが分かると思います。
手前の兵士たちは軍刀を装備していることから将校または下士官かと思われます。
画像の見える範囲で確認すると一部将校だけが偽装網を着用しているように思えます。
(後方の兵士たちが将校ではないと言い切れませんが・・・)
ということはやはり当初は偽装網を装着するのは部隊を指揮する立場である将校や下士官、
さらには重要な火力を有する機関銃手であると考えるのが当然かと思います。
とはいえ偽装網を装備する兵士は全てではないにしろ、次第に一般兵も装備していきます。
これはジャングルが主戦場であることの多い南方ではさらに偽装を施すことが何より重要になったからですね。
日本軍は十八番の斬り込みや夜襲といった突撃や狙撃、待ち伏せなど
敵に気付かれずに敵前まで移動や隠遁する機会が多くなったということだと思います。
というこで九十式鉄帽でした~!
2011年01月17日
旧ユーゴスラビア連邦/セルビア軍 M89迷彩シャツ
以前の記事でM93ジャケットについてご紹介致しました。
ユーゴ及びセルビア軍のM89、M93には厚手のジャケットの他に薄手の迷彩シャツもございます。
それがM89迷彩シャツとM93迷彩シャツです。
制式採用はジャケットと合わせて同時期に行われたのでしょう。
シャツの迷彩柄も勿論、M89、M93と準じて同じ模様になります。
ですがシャツだけあって夏など熱い時期の着用も視野に入れているせいか色は少々明るめのような気がします。
左上の記章から現用セルビア軍と分かります。
下のズボンはM89パンツ、上はM93シャツを着用しています。
シャツなので裾はズボンの中にいれます。
**追加**ユーゴ関連装備の大先輩である林鳥巣さまよりご教示を頂き、
内戦中のユーゴスラビア軍とのことです!
今更ではありますが訂正させて頂きます・・・
M89と初期型のM93は意外と迷彩色など似ていて混乱しますww
内戦中においても勿論迷彩シャツは正規軍のみならず民兵にも着用されました。

こちらは内戦中の画像です。
上下のみならず帽子までM89の迷彩で統一して着用しています。
この迷彩に準じて作られたのは帽子だけでなく、ベストやカバーオールも作られています。
さてでは所持しているものを

こちらが所持していたM89迷彩シャツです。
一見ウッドランドにも似た迷彩ではありますが模様の形も配色も違います。
シャツではありますが軍用だけあって意外と厚く出来ています。
冬場は寒いですがこれをメインに着ても大丈夫なくらいです。生地もしっかりしています。
そしてM89、M93迷彩シャツの特徴である袖のたくし止め機能。
半袖になるように袖をたくし上げた際にボタンで袖を固定することが出来ます。
この作りはM89以前の単色戦闘シャツの頃からあった古い機能のようです。
湿気の夏場には本当に助かる機能ですし、何気に格好良いですね!
ユーゴの他に東欧(ポーランドだったかな?)もシャツにこのようなたくし上げ止めの機能が付いたと思います。
意外と知られた作りのようですね。
両腕の袖をたくし上げるとこのようになります。
惚れ惚れするくらい格好良いですね!!w
ちなみに私、ユーゴのヘルメットとこのシャツで参加したら「ロシア軍ですか?」と言われたことがございますw
まぁ分かる人はサバゲ人口の中で数人ぐらいかもしれない認知度ですかね・・・w
報われない装備でもあるかもしれませんが参考になればと思いますw
ユーゴ及びセルビア軍のM89、M93には厚手のジャケットの他に薄手の迷彩シャツもございます。
それがM89迷彩シャツとM93迷彩シャツです。
制式採用はジャケットと合わせて同時期に行われたのでしょう。
シャツの迷彩柄も勿論、M89、M93と準じて同じ模様になります。
ですがシャツだけあって夏など熱い時期の着用も視野に入れているせいか色は少々明るめのような気がします。

左上の記章から
下のズボンはM89パンツ、上はM93シャツを着用しています。
シャツなので裾はズボンの中にいれます。
**追加**ユーゴ関連装備の大先輩である林鳥巣さまよりご教示を頂き、
内戦中のユーゴスラビア軍とのことです!
今更ではありますが訂正させて頂きます・・・
M89と初期型のM93は意外と迷彩色など似ていて混乱しますww
内戦中においても勿論迷彩シャツは正規軍のみならず民兵にも着用されました。

こちらは内戦中の画像です。
上下のみならず帽子までM89の迷彩で統一して着用しています。
この迷彩に準じて作られたのは帽子だけでなく、ベストやカバーオールも作られています。
さてでは所持しているものを


こちらが所持していたM89迷彩シャツです。
一見ウッドランドにも似た迷彩ではありますが模様の形も配色も違います。
シャツではありますが軍用だけあって意外と厚く出来ています。
冬場は寒いですがこれをメインに着ても大丈夫なくらいです。生地もしっかりしています。

そしてM89、M93迷彩シャツの特徴である袖のたくし止め機能。
半袖になるように袖をたくし上げた際にボタンで袖を固定することが出来ます。
この作りはM89以前の単色戦闘シャツの頃からあった古い機能のようです。
湿気の夏場には本当に助かる機能ですし、何気に格好良いですね!
ユーゴの他に東欧(ポーランドだったかな?)もシャツにこのようなたくし上げ止めの機能が付いたと思います。
意外と知られた作りのようですね。

両腕の袖をたくし上げるとこのようになります。
惚れ惚れするくらい格好良いですね!!w
ちなみに私、ユーゴのヘルメットとこのシャツで参加したら「ロシア軍ですか?」と言われたことがございますw
まぁ分かる人はサバゲ人口の中で数人ぐらいかもしれない認知度ですかね・・・w
報われない装備でもあるかもしれませんが参考になればと思いますw
